年末行事?〜「第九」演奏会にまつわる話〜

先日、ある会議の開始前に委員同士のあいさつを交わしていると、Y委員から
「矢部さん、今日の明日の話で申し訳ないけど、このコンサートのチケットもらってもらえる。都合が悪くなって行けなくなってね」との話がありました。
手渡されたパンフレットと入場券には『さいたま市名曲コンサート 日本フィル「第九」演奏会2018』とありました。
いわゆる「第九」ベートーヴェン作曲の交響曲第9番は、詩人シラーの頌歌「歓喜に寄す」の合唱付きであまりにも有名です。初演は、すでに耳の聞こえなくなっていた作曲家が、補助指揮者を立てて指揮し、終演後の聴衆の大きな拍手にも気づけず、アルトの独唱者に促されて、会場に向き直って礼をしたとの逸話が残されています。
私は、“最初の第九”で往年の巨匠フルトヴェングラー指揮、通称『ベルリンの第九』(モノラル、復刻版)のレコードを聞いて、第二次世界大戦中の戦況厳しき中、1942年3月22日に行われた演奏会の鬼気迫る演奏に親しんでいたのですから、本来の『第九』からすれば例外中の例外、いきなりマニアックな聞き方をしていたわけです。
ところで、この曲は、わが国では年末に聴くクラシック曲として有名で、今でも全国あちこちの市単位のアマチュア合唱団による演奏会が開かれることで知られています。
私は、今から40年以上も前のこと、その市民合唱団に参加し、ステージに立ったことがありました。金沢市観光会館で恒例となっていた演奏会で、当時、京都市響の常任指揮者であった故山田一雄氏による指揮で、氏は60歳を過ぎたばかりの、いわゆる“あぶらの乗り切った”ところでしょうか。本番前日の通しの練習で、委細構わず声を荒げたり、ダメ出しのストップを命じたりして、芸術家の音へのこだわりを存分に知らされたことでした。もちろん、本番では緊迫感みなぎる素晴らしい演奏会になったことを今でも覚えています。
さて、12月14日、当日、テノール錦織健を配した井上道義指揮の演奏は、錦織他のすぐれた独唱力と、近年、一時体調を崩したというものの、復帰後さらにスケールの大きな指揮を十分堪能させるものでした。私は、第3楽章の寄せては返す波のようなアダージョに、かつて舞台上で緊張と心地良さから眠気に襲われたことを思い出し、合唱終盤のまちがえ個所を確認し、この夜、ふたたび“日本人の年末の恒例行事”を味わったのでした。
ちなみに、指揮者の井上氏といえば、15年以上も前の話、ある会場で行われたブルックナー交響曲第7番』終了後のことです。鳴りはじめた聴衆の拍手を、自ら両手でさえぎって、「みなさん!だめだ、こんな演奏に拍手をしては!」「ごめんなさい」と一礼して、舞台袖へ走るようにして降りてしまったことがありました。私は、この日、私流の表現で申し訳ありませんが、7番ならではの「その昔、大河内伝次郎や坂東妻三郎主演のチャンバラ活劇の映画音楽を思わせる“めくるめくようなテンポ”」がないまま終えた演奏に、少し物足りなさを感じていたのも偽らざるところ・・・。井上氏が自身、どこがどう納得がいかなかったのかは分かりませんが、ブルックナー音楽への新たな解釈と挑戦に、指揮者の音楽にかけた妥協を許さない姿勢に深く敬意を表したい気持ちになったことがありました。
(理事長 矢部 薫)