秋ともなれば~❝悲しき天使❞に寄せて~

イギリスのフォークソング歌手、メリーホプキンの歌う『悲しき天使』(Those Were the Days)をご存じでしょうか。かつての川越の街あたりでも、秋口から始まって暮れの街角に、商店街のスピーカーから流れた哀愁たっぷりなメロディーと歌声は、すっかり私の記憶の中に取り込まれたかのようです。久しく聞くこともなくなった今でも、秋ともなれば、早速、私の頭の中でぐるぐると再生し始めます。

この曲は、1968年にPマッカートニーがプロデュースし、アップルレコード設立時に最初のシングルレコードとして発売したことで注目され、かつ世界的に大ヒット、日本では森山良子さんの日本語版で聞きなじんだ人も多いのではないでしょうか。原曲は、ロシア語。ジプシー風の音楽様式で作曲され、一時はロシア民謡として扱われたこともあったということです。

曲の随所に奏でられるバラライカのような楽器の音色の中で、歌詞は、”過ぎ去った若かりし日々”を懐かしく回想した後、

Just tonight I stood before the tavern

Nothing seemed the way it used to be

In the glass I saw a strange reflection

Was that lonely woman really me

(※今宵、あの居酒屋の前に佇めば、かつての面影などどこにも見当たらず、窓ガラスには見知らぬ人の影が映っている―その孤独な女こそまさに、今の自分だった)

と、サビに入っていきます。

時はさかのぼって50年近くも前のこと、20歳を過ぎた私は、あろうことか「1年に100冊の本を読む」との誓いを立てたことがありました。学生時代の何年かは、<月に10冊、3日で1冊>などと呪文のように唱えて、そのころ覚えた3倍速読み、斜め読みなどを駆使して、どうにか目標を達成することができました。

しかしながら、就職し家庭をもつにつれ、その誓いもいつしか半減を繰り返すようになって、福祉系の専門書以外では、寄る年波、今や年に10冊程度まで落ちこんでいます。

そんな風に読み親しんできた本の中に、詩人中原中也が生前唯一刊行した詩集『山羊の歌』に「帰郷」という詩があります。久しぶりに山口県湯田温泉にある生家に帰った折の作品です。その最終節で、

あゝ おまへはなにをして来たのだと

吹き来る風が私に云ふ

と、詩人はつぶやきます。

それらが、私に、前述の誓いに対する焦燥感を呼び起こして、今でも書店へと急がせるのです。

先日のこと、バスの待ち時間に、せかされるようにルミネビル4階に飛び込み、そのうちの数冊を手にして・・・、だが、「待てよ!」とばかりに、そのすべてを元の本棚に戻したことがありました。

『悲しき天使』の歌詞は、

Oh my friend we’re older but no wiser

For in our hearts the dreams are still the same

(※(旧友と再会して―)お互い年取ったけれどちっとも賢くはならなかった。でも若き日に抱いた夢は今でも同じ。そうよね)

と、結んで、再び回想(歌詞)をのせたメロディーに戻って、終わります。

私は、気を取り直して、もう一度、そのうちの1冊を今度はためらうことなく手にして、レジに急いだのでした。

(理事長 矢部 薫)