ブルックナーの音楽〜朝比奈氏と小澤氏〜

どうしても小澤征爾氏の音楽を聞いておきたいと思ったのは、2002年1月1日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の『ニューイヤーコンサート』の指揮者として、テレビで聞いて以来のことでした。
暮れの12月8日、近くの埼玉会館で行われた新日本フィル交響楽団の演奏会では、ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第1番』はともかく、ブルックナーの『交響曲第3番』を指揮するというので、開演前から私は正しく期待に小躍りしていたのでした。
ブルックナーの音楽というと、かなりのクラシック音楽通だという障がい福祉の大先輩であるA先生も、たまたま職員実習の巡回にお越しいただいたB先生も、音楽の話題の中で「えっえ!ブルックナーが好きなんですか。ブルックナーだけは分らない」と言って、まるで相手にしてくれない。…ある意味、主題がはっきりせず、冗長過ぎる点で、同じく1時間以上もの交響曲を作曲したマーラーとは比較にならないくらい退屈だというわけです。
ところで、ブルックナー交響曲の指揮者として世界的に有名であった朝比奈隆氏が亡くなって、ちょうど8年になりました。氏が12月29日に亡くなる、その年の9月に開かれた演奏会まで、私は、朝比奈のブルックナーに、そう、朝比奈隆の最晩年のほぼ5年間、お付き合いさせていただいたのでした。それまで、気まぐれ程度にコンサートホールに出かけるだけであった私が、ある日、たまたま身近な弔事で出かけて帰った夜に、NHKテレビ放映の『N響アワー』で聞いたのがブルックナーでした。あの特徴的なパイプオルガンのような多声音楽(ポリフォニー)は、弔事の後の、あの特別な空虚さを十分埋めてくれるものでした。そんな偶然が2度あって、それを機に、朝比奈隆氏のコンサートを中心に、ブルックナー鑑賞が始まったのでした。
そんなことがあって、ほぼ8年ぶりのブルックナーでしたが、期待通り、小澤氏の指揮は、その細部まで見逃さないぞ…というような熱演で、バババンバンバンとくる独特のリズム感あふれる<緊張>とターリラリとくるメロディアスな<弛緩>の音の波に、最後まで集中力が途切れることなくブルックナーを堪能できました。…私は、言うなれば、朝比奈氏の指揮では広がる<アルプスのごとき≪大自然(神)≫>の中に身を置いた恍惚感に浸ったものでしたが、小澤氏の<緊張>と<弛緩>の飽くなき繰り返しの妙に、新たなブルックナーを発見したのでした。
なお、小澤氏にあっては、去る1月7日の緊急記者会見で、「半年で戻ってくる」との力強い休養(闘病)宣言ながら、6月まで任期の残るウィーン国立歌劇場音楽監督を降板したとのことで、音楽ファンを驚かせました。数年前から体調を崩すことはありましたが、その都度、よみがえって来られたのだから…と思いつつも、今回は、もちろん私も、氏の復帰を強く願う一人であります。
(理事長 矢部 薫)