フルマラソン完走記〜第1回佐渡トキマラソン大会〜



(上:全員完走後の記念写真、下:ゲスト千葉真子さん)
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(左:日本最後の野生トキ「きん(はく製)」、右:トキの森公園)
韮澤さん(職員)に誘われて、ともいき会の菊本さんたちと、とうとうフルマラソンに出場することになりました。
前回の青梅マラソンに出場後、気を良くして、私なりに練習メニューを作ってフルマラソンに備えたのですが、十分に30キロの疲れを取らないで走り込んでみたところ、数日後には右膝がすっかり膨れ上がって氷で冷やさないと夜も眠れないほどになってしまいました。ついに、病院に行くことになったのですが、思えば3年近く前の6月にジョギングを始めた当日に痛めたところと同じ所を痛めたことになったわけです。文字通り“年寄りの冷や水”を、またもやってしまったか!ということになりました。
そんな緊急事態発生により、この間の10キロマラソンはお休みにして、本大会にかけたのでありました。しかしながら、一向に治る気配もなく、それどころか日に日に痛みは増すばかりで、近頃思うに、この年齢での怪我は「一生治らないかも知れない」との不安が頭をよぎるのでした。
だが、月日は有難い。1か月後の、大会1週間前にはかなり痛みも癒えたので、休み休みでしたがどうにか10キロ程度のジョギングができました。早速、月曜日には晴れて韮澤さんに、「トキマラソンに出ます!」と断言できたのでした。
さて、4月11日(日)、新潟港の佐渡ヶ島フェリー乗り場に、途中乗り合わせた韮澤さんと到着すると、菊本さんの一団が温かく迎えてくれました。私たちは、この時点から明後日の新潟駅に着くまで、菊本さんのお母さんから、赤ちゃんまでの老若男女10人以上の団体となって、菊本さんの友人(当地在住)にすっかりお世話になりながら、観光を兼ねたマラソン大会出場を果たしたのでした。
佐渡初日は、桜が一分咲きながら予想外の温かさで、私にとっては約15年ぶりとなる金山観光を楽しんだものですから、出がけの緊張感が完全にほぐれたのも事実でした。夜になって、韮澤さんが「少し散歩しませんか?」と声をかけてくれたので、夜の町中を少しジョギングをして体をほぐしました。心配された膝も痛まなかったので、「これで良し!」、大会前夜相応の適度の気合いを入れることができました。
翌日の大会当日は、向かいの山々に雲がかかったりのあいにくの曇り空・・・、天気予報はどうひいきめに聞いても「雨」を繰り返すばかりでした。会場に着いて、いよいよスタートする頃には雨がぽつぽつ降り出して、2〜3キロ過ぎた頃には道路がすっかり濡れて、間もなく衣服も濡れようか・・・と思う頃、寒い中にも体の中はすっかりマラソン用の循環体制ができて、10キロを過ぎる頃の時計ではどう計算してもキロ6分30秒・・・、後半キロ7分30秒まで落ちても“5時間切りのタイム”も想定される。・・・それにしても周りのペースがちょっと速い。菊本さんもいないし、韮澤さんのごときはスタート時点からすでにいなかったではないか・・・、などと考えているうちに、菊本夫妻ともう1人の仲間が見えてきたものですから、「矢部さん、速いですね。」などの声を後に、一時は自らのペースのうちに仲間を追い抜いたりもしたのでした。
しかしながら、しかしながら、気が付けば「マラソンを舐めてはいけない!」という元名ランナーの瀬古選手の天の声・・・、15キロを過ぎたあたりから、今度は左膝外側が、時折、しくしくと痛み出しました。17キロ過ぎからは時々、立ち止まって撫でてさすってみたのです。しかし、1キロも走らないうちに、今度はずきずきと疼き出す始末・・・。後半、30キロを過ぎてからは、走っては歩き、歩いては走るを繰り返して、どうやら歩く方が多くなったのでした。・・・見れば、辺りは田園地帯、田植えの準備にトラックターが1台2台・・・、道端には姫踊り子草の大群落、そして蛙の鳴き声・・・、「“ひめおどりこそうの”・・・、いや、これだと字余り、中七に使えないから“の”は入らない。“かわずの初音”もいい。」など、別の次元の思考回路にスイッチが入ってしまう・・・俳句の世界が広がっているのでした。
・・・そういえば、友達の秋和さんが「矢部さん、出場は無謀だ!初めから歩いた方がいい!」なんて言ってくれましたっけ・・・、あとは水分補給所での“お接待”を楽しみに歩くか走るか、走るか歩くしかないのでありました。ちなみに、今回は、バナナ・オレンジ・パンなどのほかに今川焼がありまして、これもいただきましたので、この地点では、もうかなりの満腹度となった次第でした。
・・・後半の30キロを過ぎると前後の人影もまばらで、応援は全く無し・・・。気が付けば交差点ごとにいたはずの係員ももともと配置がなかったのか、すでに引き揚げたのか、一体全体、この道でコースは合っているのか間違っているのか(そう威張れた順位ではありませんが一応)・・・、カーブを曲がると確かに前を走るランナーが見えてくるのではありました。
それにしても、雨天時にかぶる透明のごみ袋を、今や雨の上がったにもかかわらず着ていて、棚田から佐渡の連山が望める風流をかさかさと音を立ててかき消す男性ランナーがいて・・・、私は痛い膝に鞭打って、追い抜いて・・・、だが、やがて歩いている私を彼は平然と競歩のごとくに追い抜いていく。こんな繰り返しの道中で、ああ、やっていられませんねえ・・・などと一気に追い抜いてしまったのでした。
やがて、コースは突然、視界を広げ、海岸通りに入って、ほっとして少し歩きはじめると、「もう少しですよ。」と追い抜くランナーがいて、見れば、当該の“かさかさ男”ではありませんか!私は、走りだして彼に追いつくと、今度は「私は、選手宣誓をやったのですが―」と話しかけられたので、私は、とっさに「ああ、宣誓時に還暦1月前だと紹介された―!実は、私も還暦前で・・・」と意気投合!彼は、歩くままに、昨夜、宿のふかふか布団で腰痛をぶり返してしまったのでせいぜい競歩のような歩き方しかできないのだということから始まって、職場のこと、家族のことなど、いろいろ話してくれました。最期に、彼は「自分にかまわずに先に行ってくれ!」などと言っておりましたが、私とて走るとすぐに激痛に襲われる身・・・、「一緒にゴールしましょう」と誘いました。やがてゴール近くで私の仲間たちの出迎え応援が目に入ってきて、・・・ここからは無理をしてでも軽やかに?彼と走り込んだのでした。時間は5時間40分、歩いた分だけ遅かった。・・・しかし、もちろん、この晩はそれぞれの完走をたたえて祝杯を挙げたのは言うまでもないことでした。
翌日の、トキの森公園の見学、福祉作業所の視察等、菊本さん御一行の皆様方にはすっかりお世話になりました。
(理事長 矢部 薫)