人生は?阿弥陀くじ?

「人生は阿弥陀くじ
    1本線を
      入れただけで
 思いがけない
    出会いがある」
これは、『読売新聞(平成22年6月1日朝刊)』 に掲載されていた「よみうり5行歌」の中で、特に気に入ったので、書きとめておいた作品です。
私も、かねがね人生は阿弥陀くじだと感じていて、自らの人生を見れば年月の経過とともに、ためらいながらも縦罫・横罫に甘んじて生きてきたように思います。
確かに、若いうちは、本を読んだり、人の話を聞いたり、体験を重ねたりすることによって、時には大きく縦罫を1本2本と増やした実感もありました。また、意識して横罫を増やして人生を手の中に置こうと考えた時期もありました。
やがて、傍目に見れば“落ち着いた”のか、“角が取れた”のか・・・、自らの阿弥陀くじ表が全体的に俯瞰できるようになると、妙な自信も芽生える結果となり、これをよしとして10年単位で過ごしてしまうと、何時しか還暦を迎えるに至ったという次第です。
さて、障がい者の人生を阿弥陀くじ表で見た場合、生活の場として、自宅(生家)か、入所施設か、グループホームか、アパートか、・・・どこに住みたいのですか。日中活動の場として、福祉作業所か、就労か、・・・何になりたいのですか。いずれにしても彼らの人生がそれぞれの境遇の中で、あるいは制度の中で、特に縦罫については人生の選択幅という点で、健常者とは比較にならないほど狭く、実際の選択肢に限りのある人が多いように思います。
私たち支援者は、このことを銘記して、彼らにせめて幾筋かの横罫(余暇支援として、何をしたいのですか)を提供して、思いがけない出会いの中で、より豊かな人生を送っていただきたいと、そして、それが足がかりとなって縦罫を増やすことにつながれば、と願うばかりです。
ところで、私の現在の阿弥陀くじ表は、この先、数本の縦罫の中に、わずかばかりの横罫が見える段階にあるのでしょう。残りの人生の幅がやけに狭く、短く感じられてなりません。今さら、新たな人生を縦罫に打ち立てて・・・と、いうわけにはいきそうにありません。せめて意識的に新しい趣味などに挑戦して、横罫のところで充実させていきたいと思うのであります。
(理事長 矢部 薫)