二十歳のあいさつ

久しぶりに見かけて、立ち話になった元同僚は、こう言った。
「あっ、そうそう、G君のことだけど、もう4年くらい前になるかな・・・、ちょうど私が勤務中に電話があって、<Y市の警察だ。Gさんの親類縁者を捜しているが、本人の親せき筋は転居してしまったりしていて、捜しようがない。遺品にあった携帯電話の登録先に次々に電話をかけてみたが、いずれも1〜2回会ったくらいの顔見知り程度・・・、その中に○○施設の名前があったので電話させていただいた>ということがあった。」
「結局こうだ」元同僚は、話を続けて、「彼は、卒園すると父親に引き取られ、会社に勤め、月収10万円なりを取っていたが、それを父親が本人に1,000円程度を渡しただけで、ほとんどを自分の酒代にして飲んでしまった。そんな無職でアル中の父親もいつしか健康を害して、亡くなって、それから1人暮らしをしていたそうだ。ところが、4年前のある日、本人が出勤してこないのを心配して、会社の同僚がアパートを訪ねたところ、病死していたというのだ。」

―G君といえば、その昔、施設の子供たちの通う中学校には特殊学級(現、特別支援学級)が無かったため、市内にある別の中学校に通っていた。そんなこともあって、やや仲間外れにされていたのが半分、本人の好みによるところ半分で、土曜の午後・日曜日になると決まって、私の担当していた幼児寮に遊びに来て、子供たちと遊んでくれたり、近くの公園までの散歩に付きあってくれて、職員の補助をしてくれた。―
―そんなG君が、今から20年も前のことだが、正月の我が家の玄関に、突然、スーツ・ネクタイ姿で現れた。「お久しぶりです」と、はにかむ彼に昔の面影を読み取った私は、すぐに「G君じゃないか!よく来たね」と中に招き入れた。「おじゃまします」と、一礼した彼は、すぐに幼馴染みの先客たちと合流して「お前も成人式か」「小さかった頃、よくいじめたな」などと、ワイワイとにぎやかな席に加わっていた。そして、少し宴席が鎮まった頃、当時、出始めのCDウォークマンで彼の好みの歌を聞いていたのが印象に残った。―

さらに、元同僚は「後日分かったことだが、結局、G君は、役所の方で無縁仏として埋葬したとのことだ。」と、話を終えた。

私は、G君のネクタイ姿が、知的に少し遅れがあっても頑張れば、どうにか社会の中で生きていけることの模範として、私の中に焼きついていただけに、大変ショックで言葉を失った。そして、
「地域で暮らすことは、父親と暮らすこと、彼にとって楽しくもあったことだろうが、・・・現実は厳しい。世は地域福祉の時代・・・、彼を支える手だては無かったのか!・・・手立てが無ければ、風邪をこじらせても人間は死ねる、のだ。」と、頭の中が渦を巻いた。
(『親愛南の里NO46』平成20年11月1日より、施設長 矢部 薫)