制度改革の<論点>に思う〜特定の生活様式を義務づけられないこと〜

「現在、13万人もの知的障害と言われる人たちが入所施設に閉じ込められている」と、少しインパクトのある発言が、当事者委員からあったという「障がい者制度改革推進会議」(障害当事者代表が多く参加)が本年1月に発足して、6月7日には「障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)」が国に提示されました。(これを受けて、国から閣議決定が示された。)
他方、本年4月より、障がい者制度改革推進会議内に総合福祉部会(福祉事業団体代表も参加)が発足して、7月9日に行われた第5回部会では、佐藤部会長より、これまでの論点整理から、論点①「法の理念・目的・範囲」をめぐって障害者権利条約第19条「特定の生活様式を義務づけられないこと」は、現行制度上の選択肢のひとつである入所施設の利用と矛盾するか、という課題が提起された、とのことです。
(※部会の詳細は、厚労省ホームページに動画配信されていますが、まだ正式な議事録は掲示されておりませんので、以下の本文では機関誌『2010.9経営協』文から引用させていただきます。)
その課題提起に対して、部会構成員から
・入所施設は閉鎖的でなく、コミュニケーションが取れることが必要であ  る。重症心身障害児施設は不可欠であると思う。
・入所施設は特定の生活様式ではないと思うが、施設の日中活動の工夫が必 要である。
また、
・サービスの基盤整備がなければ、選択することができない。サービスが少 ないことが問題である。
・入所施設を長く利用することはそもそもどうなのかを考えるべきである。
・施設の要、不要論ではなく、在宅で暮らしたいのかどうかを考えるべきで ある。
との意見が出されたそうです。

ところで、詩人 高村光太郎の詩中に『ぼろぼろな駝鳥』という作品があります。
ぼろぼろな駝鳥
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、もう止せ、こんな事は。
〜『銅鑼』(昭和3年)発表〜
これは、第一次世界大戦の戦勝気分も束の間、大正10年の日英同盟廃棄、同12年の関東大震災、続く治安維持法公布から前年のジュネーブ軍縮会議の決裂の時代にあって、来る世界恐慌満州事変・日中戦争を予感させる“時代の閉塞感”の中で、自らの詩人の魂をこの作品に託したものだという評があります。
私とこの詩の出会いは、時は1970年、「♪こんにちは〜、こんにちは〜」と国を挙げて浮かれた大阪万博とは対照的に、複合汚染・安保闘争など社会混乱の同時代の、もう一方の側面に、まさに自らの「四坪半のぬかるみの中」をもがいた若き日でした。
それから40年を経て、ある意味、世の中、どこへ行っても「ぬかるみ」(理想通りには行かない)でしかないようにも思えるのも、正直な実感です。

話を福祉に戻しますと、10年近く前に「施設解体論」が世間に流布されて、時に、入所施設は“絶滅危惧種”とまで揶揄されて、入所施設を支えてきた人たち、とりわけ職員は自信を無くし、一部には夢を持てずにほうほうの体で他に転職していく人もいました。しかしながら、多くの職員は、日々、お預かりしている利用者の皆様方の支援に悪戦苦闘・・・、慢性的な人材不足の中でも、今なお増え続ける入所希望に少しでも応えるべく、時には手に余すような重度の人たちにも、決して笑顔を絶やすことなく毎日の支援に、そして分刻みの介護に頑張っております。
私たち、入所施設関係者は、「障害者権利条約」という世界規範の中で、決して抗えない状況はあるにしても、「特定の生活様式を義務づけられないこと」の本旨は何なのかの議論を詰めて、日本の障害者福祉が安易な入所施設解体論に進まないように注視する必要があります。
そのためには、私たち関係者は、決して「動物園の四坪半」を義務づけるのではなく、入所施設の「ぬかるみ」(あえて“弊害”)は何かを検証・改善して、グループホーム等と併せて、障害のある人たちがどこに住もうと「いつまでも瑠璃色の風を感じて」「無辺大の夢をもち続けられるよう」努力しなければならないのだと思います。
(理事長 矢部 薫)