ワクワクドキドキして働いていますか〜ドラッカー『マネジメント』を学ぶ〜

8月8日に行われた親愛会恒例の夏期研修会に、「NHKテキスト『マネジメント』を読む」という2時間講義を行いました。
それよりも前のこと、ある職員の研修報告書に“ドラッカー”が出てきて・・・、そういえばこのところぽつりぽつりとこのような社会福祉施設職員研修用のテキスト中にドラッカーの引用を目にすることがありました。
そんなこともあって、7月も終りのある日、電車を待つ間に、ちょっと入ってみた書店で、ぺらぺらとマンガ『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(以降、『もしドラ』)をめくってみました。しかしながら、私には全く頭に入らないどころか、「どうして今時、ドラッカーなのだ?!」という疑問がめらめらと燃え上がるだけなのでした。
ドラッカーといえば、その昔、私の学生時代に『断絶の時代』が爆発的に売れて、早速買って読んだという友だちがその本を貸してくれて、そのまま読まずに、数日後には返してしまったような記憶があって、何かと「だから“断絶の時代”なんだ」と結論付けるもの言いに嫌気がさしたのが始まりでした。それから、福祉の世界に入ってもなお、いわゆる経営学とは距離を置くどころか、“無縁”を自認してきたのでもありました。
それが、やがて(今から10年以上も前のこと)図らずも、私の参加したある人事考課セミナーで講師が度々ドラッカーを引用していて「やれやれ、福祉の世界までドラッカーかョ」と少しうんざりしたのも正直なところでした。
時は過ぎて、前述の書店の中、私はマンガ『もしドラ』を置いて、もちろん「経営学コーナー」のドラッカー棚に行くこともなく、いつものようにNHKテキストコーナーへ行きました。するとここにもドラッカー・・・。手に取ると『100分de名著ドラッカー『マネジメント』』(ドラッカー学会代表 上田惇生著)。100分で学べるならば・・・と、私は、めくるうちに、「産業革命→資本主義→社会主義→(脱経済至上主義)→ファシズム全体主義→マネジメントの時代」のページを走り読みして、「そうだ、世はマネジメントの時代、好むと好まざるにかかわらず、我々はマネジメントの時代を生きている。だから、今やマネジメント抜きには組織は語れないのではないか」と合点するのに時間はかからなかったのでした。
早速、本書を求めてきました。
(※新書(本)どころか、テキスト(本)に至っては、還暦を過ぎた我が身でもなお忸怩(じくじ)たる思いがないわけではないのですが、それはそれ、限られた人生の時間を言い訳にすれば、テレビのブラウン管を通しての事実も私のもの、わずかばかり“引用”“イミテーション(模倣)”の注釈をつければ何事も怖くない。それどころか、即効薬を飲んだ時のごとく、一夜にして無知という病魔を払いのけようというものです。したがって、机には、「仕事学のすすめ」「こだわり人物伝」の類だけが増える一方なのです。)
さて、著者の上田氏は、ドラッカー学会代表の肩書どおり、ドラッカーに精通していて、
第1回放送「感動のDNA」で近代の歴史をたどり、近い将来の「マネジメント(=文明である)」(ドラッカー)時代へと変化の途上にあるという現在を語り、
第2回放送「何のための企業か」では、企業経営とマネジメントを語り、
第3回放送「誰もがマネージャーになれる」では、社員1人ひとりがマネージャーとして活躍することの大切さ(幸せ)を語り、
第4回放送「日本へ」では、「来るべき時代」のあり様としてNPO(民力)が主体的に関わりあっていく社会を提示して
「人を大事にする社会」の構築こそドラッカーのマネジメントの根底をさすものだ、と結んでおります。
当日の2時間講義のために、私なりに本テキストの要旨を100ページのパワポイントに落として、講義というより“読み合わせた”のですが、前半はマネジメントの時代をしっかり説明し(ここを理解しないと先に進めない)、後半は企業・会社を親愛会に、社員を職員に言い換えたことも功を奏して、本日までに集まった職員からの感想によると、各自思い当った箇所に触れて「参考にしたい」「努力したい」などの文が記載されていて、思いのほか聞いてくれていたことが分かり、ホッとしたところです。
私としては、夏期研修会の本旨として、これを機会に職員一人ひとりがドラッカー流の職場の見直しをして、自らの強みを十二分に発揮できる組織にしていってもらいたい。そして、何より、せっかくのご縁を得て親愛会で働いている以上、いつも「ワクワクドキドキして」(ドラッカー)働いてもらいたい、この一念あるのみなのです。
(理事長 矢部 薫)