心を養い生を養う〜安岡正篤のことば〜

先日、友人2人と立ち寄った居酒屋でのこと、「この間、素晴らしい古本を見つけたんだ。」「俺は、以前から読んでいて、時たま引用させてもらっている。」と、いつもなら世間並みに年齢相応の病気話を皮切りに展開するはずの話題が、私の全く知らない本の話になりました。
聞いているうちに、どうも面白い、単に逆説めいた話でもなさそうだ、特に東洋の古典文学・哲学・宗教などに裏打ちされていて・・・、経営論でもあるし人材育成論でもある・・・。聞いた話の感想から、後日、本屋の哲学書コーナーに行って、名前もおぼろげながら書棚の何冊かをぺらぺらめくってみると、確かに記憶に近い文章が並んでいるのが分かりました。早速、友人に確認して、お勧めの1冊を購入しました。そして、発車真近の電車に乗り込みました。
ご存知の方も多いかと思いますが、本は『安岡正篤一日一言』(到知出版社)で、著者の死後23年後の、平成18年5月にご子息の安岡正泰氏が「安岡教学の本質をとらえた片言隻句をまとめたもの」で、読者自身の人生のいかに生くべきかの参考としてほしい旨のまえがきがあります。
(※内容は、1日1文(1段落)形式で、日めくりカレンダーのように手軽に読めて、「なるほど」などと納得していくうちに、いつしか身について、1人自問自答したり、大勢の会議の席で、問題解決の糸口として脳裏に出てくるのですから不思議です。本の副題「心を養い、生を養う」とは、こういうことなのかと頷くばかりです。)
例えば、1月8日“挨拶の意味”では「挨も拶も、直接の意味はぴったりとぶつかる、すれ合うということで、従って物を言うのに、相手の痛いところ、痒いところへぴったりと当たる、これが挨拶であります。」とあります。
どこの社会でも同じかと思いますが、親愛会の各事業所においても例外ではなく、毎日、利用者・職員他出入りするすべての関係者の間で、「お早うございます」から始まって「こんにちは」「こんばんは」と挨拶し合います。さらに、職員間では仕事中、誰かれにすれ違っても「お疲れさま」、帰り際の「お先に」「お疲れさま」に至るまで、挨拶は続きます。余りに日常的なので、時には、つい相手の顔を確認しないまま、聞き覚えのある声に背中越しの「お早う」を返してしまって、自責の念にかられることがあります。また、ファーストフード店まがいのマニュアル化された挨拶とまではいきませんが、「さっきすれ違ったばかりなのにお疲れさまは無いだろう」などと考えてしまう場面もあります。
ところが、この本によれば、本格的な挨拶には「相手の痛いところ、痒いところにぴったりと当たる物言いをしなさい」というのですから、例えば古い映画ドラマなどで見かけるところ、相手に“痛いところを突かれた”場合の返答として「ご挨拶だな!」との言い方は、まさしく挨拶の本来的な使い方なのだと思い当たります。
しかしながら、“痛いところ”となりますと、福祉の世界では、特に個人情報には守秘義務が発生しますので、衆目の前で話題に触れることはできませんし、もちろん相手の心の中にまで土足で足を踏み入れるようなことは厳に慎まなければなりません。余程、信頼を得るようになってからのことになると思います。
また、俳句の世界では、挨拶句というのがあります。これは招かれた客人が主人に敬意を表し、ご当地の名所旧跡や名物にちなんだ言葉を入れて、ちょっとした心遣いを楽しむ特別な俳句のことを言います。この場合は、“痒いところにぴったりと当たる”、つまり「細かな点まで気がついて配慮してくれた」上での挨拶(句)になると思います。
私たちは福祉という対人サービスにかかわる身ですので、通り一遍の挨拶から、さらに意識して「お寒いですね」、「風邪など引かれませんように」など、そして個人の要件を含んだ挨拶へ・・・と、特に利用者・家族の皆様方には、もう一歩踏み込んだ“相手の心にぴたりと当たる”挨拶が求められるかと思います。つまり、この安岡教学の言う本来の“挨拶”の意味合いが、私たちの対人援助技術を高める道筋になると思われるからです。
そんなことを考えながら、この本を読んでいるうちに電車はあっという間に目的地に到着したのでした。
(理事長 矢部 薫)