2つの富士山と月見草〜夏の名残り〜

私の家に2つの富士山の花瓶があります。
1つは、5年位前のこと、深谷市内にある「あゆみ作業所」を見学した後で、立ち寄った同法人経営の「スワンベーカリー深谷店」で、窓際の陳列棚の上に置いてあった壺様の花瓶です。よく骨董好きの人が、“呼んでいる”と表現しているように、確かに、その日の私はというと、その花瓶を一目見た瞬間に釘付け・・・、“私を呼んでいる”ようで、目的のパンをそこそこにして、買ったものです。
その花瓶の景色は、頂きに、初雪の冠をかぶって、その下9合目以下は溶岩の侵食に任せた無数の小さな谷が刻まれて、その襞に食い込むように雪が半分解け、半分残っている風情・・・。さらに7合目・6合目と降りてくると辺りはすっかり焦げ茶色の溶岩地帯が続いて、良く見ると深い緑に見えなくもなく、やがて大きな樹海となって瓶の底へと丸く絞られていて、まるで粘性の高い溶岩が流れ出て、駿河湾の縁で分厚く固まったものか・・・。とにかく、全体に“握りこぶし”のようなエネルギーに満ち溢れているのです。銘は“小川”とあります。
まるで、富岡鉄斎の『富士山図屏風』『不二山頂全図』を見ているがごとき、ごつごつとした風格とリアリティを感じさせる作品です。

もう1つは、昨年、「啓和祭り」に行った折に、売り子に2つの筒状の花瓶を勧められて、そのうちの1本をさしたる思いもなく求めたものです。ただし、これが富士山だと気付くまでに少し時間がかかって、1週間くらい経って一輪刺しに使ってみて、花瓶の表を確かめるようにくるくると回しているうちに、息を飲んだのを覚えています。
その花瓶の景色は、浅葱色のひしゃげた台形が、富士山だとも何とも名乗らずに佇んでいて、聞けば「そうですか、富士に見えますか・・・」などとためらいがちに答えそうです。ですが、よく見れば、ちょうどマチスの切り絵が躍動する人体を構成し、音楽(ジャズ)を醸し出しているように、「単純化と装飾性」の中に、富士山のリアリティを見事に表現しているように感じられます。銘はありません。
まるで、葛飾北斎『冨嶽三十六景』や歌川広重東海道五拾三次』でお馴染みの浮世絵版画の、しかも山々の間の遠景にひょいと出てきそうな、さり気ない富士山です。

しかしながら、この2つの花瓶はというと・・・、実際に花を生けてみると、富士山を絵柄に入れたのでは、どうしたって花が負ける。何度か挑戦してみたが、負ける。特に園芸花ではとても見ていられない。そこで、いつもは、玄関の靴棚の上に並べて置物として眺めているが、1年に1度だけ、水引草が盛りの時期に、挿すことがあっても、そのままにしておりました。

先日のこと、いくら連日の猛暑残暑といっても9月も中旬、毎朝の散歩道の傍らに咲く月見草もさすがにくたびれて、花も小さくなって残りわずか・・・。月見草と言えば、「富士には月見草がよく似合う」と人が言う。そこで、3本ほどを失敬して、早速、2つの花瓶に生けてみました。
月見草の花は、夕方に咲いて、翌朝は太陽の日差しを受けるとすぐに萎れてしまうところから命名されているように、レモンイエローをさらに薄くした薄黄色のハート形の花びらを4枚咲かせて、これ以上可憐な花はないといった花です。
一方の壺様花瓶の月見草は、私の、どうしたって花瓶に負けるだろうとの勝手な予測を裏切って、一歩も引きさがらない、引けをとらない。かと言って、喧嘩しているのではなく見事に富士の天辺に納まっているのです。
他方、筒状花瓶の月見草は、全体が楚々として今にも消え入りそうな、淡い風情を漂わせて、これはこれで、この上なしの見事さなのです。
まさに“よく似合う”・・・。
やがて、月見草は月見草らしく、見ているうちに、2つの富士の中で次々と萎れていったのでした。

「三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立ってゐたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合ふ。」(太宰治著『富嶽百景』抜粋)
(理事長 矢部 薫)