仕事をとおしての生きがい〜1万時間の重み〜

親愛会恒例の全職員対象『夏期研修会』が、8月17日に行なわれました。
今年の4コマ目【グループ討議】のテーマは≪仕事をとおしての生きがい≫で、7名ずつ全10グループに分かれて、活発な意見交換を行いました。当日のグループごとの発表で、また後日提出された個別の「研修報告書」に目を通して特徴的なのが、職員一人ひとりの人生観(思い)から多少のニュアンスの違いはあっても、おおよそ「仕事は生きがいにならない、むしろやりがいである」「生きがいは仕事ではなくて、趣味・家族である」との意見が多かったことでした。
話は少し変わりますが、最近、心に残った言葉があります。それは、「成功は、1万時間の努力がもたらす(1万時間練習すれば、どんな分野でもプロになれる)」(マルコム・グラッドウェル著『天才!成功する人々の法則』)です。
過日放映されたNHKテレビ『仕事学のすすめ』の中で、経済評論家の勝間和代氏は、「アイスホッケー選手、サッカー選手、バイオリニスト、ピアニスト、作曲家、小説家など、様々な分野のプロで世界的なレベルに達した人には、例外なく1万時間の訓練期間があった(グラッドウェル“成功の理論”)」と紹介していました。
これによれば、16歳から宮廷音楽家として活躍する前のモーツァルトも、下積み時代のビートルズも、PCプログラムを開発するまでのビル・ゲイツも、20歳から一流演奏家として活躍している辻井伸行氏も、その前の1万時間、・・・そして、ゴルフの石川遼選手も宮里藍選手も1日3時間以上、10年間(1万時間)の猛練習を経て“天才”として、その実力が認められるようになった、というのです。
私たちは・・・、全員が天才というわけにはいきませんので、子どもの頃に各種習い事に通い、学生時代にクラブ活動に励んで、さらに一部の才能ある人にとっては夢の実現に近付けたとしても、なかなか上手くいかず、1万時間前に挫折して諦めて、後は趣味程度に・・・などと妙に納得して人生を送っているのは、私ばかりではないと思います。
ところで、私たちは必ずしも天才を発揮できずとも、大なり小なり好きな分野の仕事に就いて、生業(生計のための仕事)として、自らの“天賦の才”を信じて相応のプロフェッショナルを目指して生きているのだと思います。その場合、週40時間労働で有給休暇を10日取得したとして、年に2,000時間程度の仕事をしていることになりますので、5年で1万時間になります。決めた仕事一筋、脇目も振らず、精進努力したとすれば、5年でその道のプロフェッショナルになれる。その上、残業をも苦にせず、人生のほとんどを費やせば費やすほど、その時間は短縮されるということになります。
逆に、人生いろいろなこともあって、そんなに頑張っても息が切れます。時には、1日8時間が長く感じられて、頑張り4時間、惰性4時間・・・などという日もあるかも知れません。その場合、一通りのプロフェッショナルになるのに、5年が10年に、さらにそれ以上の月日を数えることになります。
一時代前の高度成長期に企業戦士として世界に名をはせた“猛烈サラリーマン”は遠い昔のこと、今時、“人生=仕事”などというのは流行りませんので、その人なりの持てる才能と努力のなせるところ、ワークライフバランスの中で、自らのペースを守ることが、途中で“潰れない”(挫折しない)ことに繋がるのだと思います。
しかしながら“好きこそ物の上手なれ”、誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものです。好きな仕事を介して一流のプロフェッショナルになるのも、人生、まんざら捨てたものではないでしょうし、職場ではそのような人材を求めているのも正直、偽らざるところです。
話は戻って、前述の職員の意見のとおり、仕事は、もちろん、単純に、生きがいにはなりません。が、私たちの福祉の仕事は、直接的な対人援助サービスです。この、人と人との出会い、つながりの中で自らの人生をクリエイトしようとした場合、あながち“仕事=生きがい”を否定できませんし、もちろんやりがいのある仕事だと思います。
ちなみに、私の、自らの人生を振り返った場合、家族も、趣味も、現在進行形で大いなる生きがい(人生の意義、人生に生きる価値や意味を与えるもの)、あるいは生きがいの糧(精神・生活の活力の源泉)を与えてくれます。
しかしながら、人生の大半の時間を費やしてきた仕事も、周囲の評価はともかく、1つのことで1万時間以上をも費やしてきた時間経過(経歴)の中で、生きがいとなっている(生きがい化)のも事実と思うのです。
(理事長 矢部 薫)