自分の考え〜机の上で勉強していると・・・〜

「机の上で勉強していると“そうなんだ”で終わるけれど、実際に体験してみると自分の考えがもてる」
これは、先日、高知県で体験修学旅行をした小学生がテレビの取材に答えた言葉です。
私には修学旅行まで体験(型の学習)なのか少し疑問が残るところですが、特に小中学校では文科省が推奨・指導しているようです。
PC事典によれば、体験活動(いわゆる体験学習)とは、戦後の団塊世代が受けた「受験戦争=詰め込み教育」への批判から、21世紀型の学習指導法として奉仕活動とともに、座学に対する実体験の学習として登場し、現在では一般の企業内教育やセミナーなどでも重要視されているということです。
ところで、「詰め込み教育」というと、ほぼ団塊世代に属する私も例外ではなく、たとえば中学生時代、国語・算数・英語・理科・社会の主要5教科はもちろん、それ以外の音楽・美術・保健体育・技術家庭に至るまで9教科全てにわたって、もっぱら入学試験のための知識(材料)として詰め込んだ経験があります。
主要5教科については、今でも入試がある以上は詰め込み旺盛といったところでしょう。しかしながら、“他の4教科”については、その後受験科目から外されたこともあって、それほど知識偏重にはなっていないようです。
私にとって、当時は丸暗記に苦労したものの、過ぎ去ってみれば詰め込み教育もまんざら捨てたものではなく、おかげさまで、今でも頭の片隅にある記憶をたどれば、例えば、音楽ではブルックナーマーラー交響曲群どころかシェーンベルク弦楽六重奏曲『浄められた夜』もショスタコービッチ交響曲第五番『革命』も、名前だけは知っていました。問題は、試験問題を解く材料としてとどめおいた音楽の世界を、そう、音楽室にいかめしい顔つきで写真に納まっていた大作曲家たちの音楽を、それをいつ聴くか(あるいは聞かないで終わるか?)だけなのでした。
ある時、今から10年ほど前にふと思い立って、それまでバッハからせいぜいブラームス止まりだったクラシック趣味を拡大して、おおよそ順番に1枚1枚、CDで理解するまで聞き重ねて、時にコンサートで聴くこととしました。結果、運良く名指揮者、故朝比奈隆氏の最晩年のいくつかのコンサートを聴く機会を得て、本当に(心底)ブルックナーファンになり、次いでマーラーファンにもなったのでした。
私たちの世代には、大なり小なりこのような無機質な材料としての知識が美術でも保健体育でも詰め込まれてあって、年齢とともに薄れてゆく記憶を頼りに、このように体験化(経験化)していくと、それなりに素晴らしい世界を与えてくれるものだと実感した次第です。若い頃ならば自らの才能を頼みに人生の1つとして挑戦するのも、また人生、という世界(芸術・体育等)の話ですが、アプローチ(お付き合い)の仕方によっては、いわば無尽蔵、かつ極まりなしの趣味の世界を広げてくれるのではないでしょうか。
つまり、机上の“そうなんだ”が、この場合、趣味体験としてですが、“自分の考え”の一端となっていく、知恵の一助にもなっていくのかと思うと、何か人生のからくりが見えてきたような気がして、残りの人生の中で、他の詰め込みも貪欲に体験化してゆきたいと思うのです。
(理事長 矢部 薫)