普通(当たり前)を支えるということ〜マニュアル化の中で〜

福祉は、決して特別(特殊)ではなく、人生のそれぞれのステージに沿った普通の暮らしを支援・介助することによって、利用する人、一人ひとりの当たり前の幸福を実現することにある、と思います。
私たちの業務も、世の中の他の業務と同様に、民間委譲の程度の差こそあれ、官が行おうが民が行おうが、社会福祉法人が行おうが株式会社が行おうが、法治国家のゆえんたるところの最低基準に則って日々の業務を遂行しなければならないのです。近年、民主主義の大義(幸福追求権)である国民の権利擁護が進んで、結果、あらゆる業界でコンプライアンス法令遵守)が厳しく求められる時代になっています。
私たちの福祉現場では、昨年10月より新たに障害者虐待防止法という、特に日々の対人援助の現場に関わりの深い法令の施行に伴い、障害者自立支援法はじめ障害者福祉関連の法令に加えてコンプライアンスがさらに増した実感があります。
とりわけ、この障害者虐待防止法は、私たちの日々の業務と表裏一体をなすほど密接で、「障害者福祉施設従事者等による障害者虐待」を
①身体的虐待 ②性的虐待 ③放棄・放置(ネグレクト) ④心理的虐待 ⑤経済的虐待
と定義しています。
この各々について、支援・介助などの対人援助の現場では、例えばパニックで暴れる利用者を制止する(押さえつける)ことが身体拘束になるのか、他の業務を優先させて介助を先延ばしにして(待たせて)しまうことがネグレクトになるのか、本人に理解できるように平易な(幼児子どもの使うような)言葉で話しかけることが心理的虐待になるのか・・・、職員は戦々恐々の日々を送らざるを得ない状況にあります。もちろん、いずれについても「何人も、障害者に対し、虐待をしてはならない。」(法第3条)のですから、その都度、やむを得ない事情を説明し、当事者のご理解を得るよう努めなければならないのです。つまり、“虐待にグレーゾーンは無し”なのです。
話はコンプライアンスに戻します。私の持論ですが、
①1人のコンプライアンス(自律)
 職員1人ひとりの倫理観に頼る法令遵守。1人芝居、てんでんばらばらに なりがち。だが、多少の差異はあっても良識が過半数を占めれば、組織は まず安泰となる。
②2人のコンプライアンス(他律)
 経験に頼る法令遵守。先輩後輩あるいは同期、2人の人間関係の上に成立 するので、極めて不安定。だが、成立すれば、組織は有機的に前進する。
③大勢のコンプライアンス(衆律)
 マニュアルに頼る法令遵守。集団の中で標準化して、成立しやすく、使い やすい。だが、気づかないうちに、形骸化しやすい。
と言えるかと思います。
最近の福祉現場では、ISO(国際標準規格)や第三者評価を取得するところも増えて、質の向上と危機管理の両面から、大なり小なり、あるいは大なり大なり、マニュアルだらけの職場となっています。親愛会の例でも、マニュアルと付いたものだけでも、「業務標準表(支援マニュアル)」「危機対応マニュアル」「衛生管理マニュアル」「虐待防止マニュアル」「法令遵守マニュアル」等々があって、近年、業務基準(標準)に類する手引書が、まるで電気製品の分厚い取扱説明書さながら、始業から終業に至るまでの私たちの一挙手一投足を決めるかの勢いで、その整備が急がれる傾向にあります。これらをクリア(遵守)するためには、各自の自律を信じ、他律の中で、衆律として精進努力するという構造の中でいく他無しといったところです。
しかしながら、上述の持論のように、毎日の繰り返しの業務の中では、微に入り細に入るマニュアルは次第に形骸化していって、そのために2人の職員の関係のなせるところ、他律に期待して成果を生むも一時(いっとき)、やがて人間関係も曖昧さを加え、果ては「見て見ぬふり」して「あきれ果て」、ついに「何度言ったら分かるの!」と声を張り上げることにもなり兼ねません。
先日、テレビ番組で比叡山延暦寺が紹介されていました。中でも、私が注目したのは、根本中堂内の本尊厨子前の釣り灯篭(とうろう)に灯る、開祖最澄の時代から続く「不滅の法灯」でした。ちなみに、法灯とは、仏法が闇を照らす意を込めて仏前に供える灯火のことで、仏教各宗各派ごとにそれぞれの方法で大切にされています。この法灯は織田信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっている、ということでした。
では、この3つの法灯をどのようにして1,200年にわたって絶やすことなく灯し続けることができたのかというと、答えは、“係や当番を付けない”ということでした。
説明によると「担当者などは置いていない。気が付いた者が油を足す。なまじ順番に係を付けると、たまたま当番にあたった者がぼんやりして切らせてしまったということにもなりかねない。大切なことほど係を付けないで、全員が何時も気にしている、気にかけている方が守れる。」というのです。
前述のように、私たちの職場をマニュアルだらけにしますと、上手くゆけば行くほど“マニュアルのためのマニュアル”化していって、あるいはマニュアルに縛られるあまり、目的とする普通の暮らしを支えることから遠退いてしまい、結果、私たちの福祉の本来的な、障がい者の当たり前の幸福を実現するということが忘れられてしまうのではないかと危惧しています。
そのためには、マニュアル化の中であっても、第一義として、一人ひとりのかけがえのない人生の大切さを、職員誰もが“何時も気にかけている”(共通認識)ということが求められているのではないかと思います。
(理事長 矢部 薫)