人間関係〜求める優しさは心地よい合槌〜

特に、3月9〜11日のテレビ番組は、どの局も東日本大震災の特別番組を組んで、あるいは遅々として進まぬ復興を指摘し、あるいは最新の地震のメカニズムを紹介し、日本国中、改めて天変地異災害の恐ろしさを“他人ごとではない”(共有)こととして扱っておりました。その意味では、本大震災のキーワードとしての“絆(きずな)”は、早期復興のためもっと叫ばれてよいと思いますし、今後予想される大地震対策のためもっと求められてよいと思います。
辞書によれば、その絆のもともとの意味は、「馬・犬・鷹などの動物をつなぎとめる綱」で、それが転じて「人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき」の意をもつということです。
“人と人のつながり、結びつき”といえば、人間関係ということになると思います。
先日、カーラジオの『ユーミンコード』なる番組中、松任谷由美さんの質問に、ゲストのタレント大久保佳代子さんが「他人(ひと)に求める優しさは心地よい合槌(あいづち)」と答えて、自らの体験談(失敗)を補って、人に求める気持ちの行き着くところを説明していました。少し共感しましたので、私の思うところを記したいと思います。
私たちの人生の大半は、他人(ひと)に求める気持ちに右往左往・・・。優しさを求めて他人に近づき、大方は、心地悪い合槌に傷付き、心折れ曲がり、しばらくは口も聞くまいと思ってはみても、自らの心の内の寂しさ、人恋しさに負けて、またぞろ、他人に近づく・・・というようなことを繰り返して生きているのかも知れません。よほど人生を達観したか、悟りを得るかしないかぎり、終いには怨憎会苦(おんぞうえく、仏教八苦の一つ、怨み憎しむ者にも会わなければならない苦しみ)、経典に教わらなくても、人間関係の断末魔の苦しみ・・・にもなり兼ねないところでしょうか。
しかしながら、自らの身勝手、この場合“心勝手”でしょうか、他人に求める気持ちとて全く当てにならず、一瞬一瞬変化しますので、求める優しさも、時には「ただ黙って聞いていて!」とばかりに傾聴を求めたり、時には「かわいそうでしょ!」などと同情を求めたり、時には「聞いているのはイエスかノーよ!」と同意を求めたりするのですから、相手にとっては優しさを求められて、勝手に心地よいか悪いか判断されるのですから、求める方よりも求められる方が全くもって人騒がせ、エライ迷惑なのかも知れません。
だが、人生捨てたものではなくて、丁々発止(ちょうちょうはっし)の議論の末お互いに酒を酌み交わす仲もありますし、全くもって阿吽(あうん)の呼吸などと評される間柄もあります。
私たちは、全ては煩悩のなすところ、人間関係も所詮苦の始まり終わり、諸行無常と観じて穏やかに生きなければならないのかも知れません。鴨長明著『方丈記』には、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし」とあります。
ちなみに、この有名な冒頭の後の記述は、東日本大震災後に注目されるところとなって、800年前に実際に起きた火災・竜巻・飢謹・地震などを詳細に記したルポルタージュだとして、マスコミに取り上げられておりますので、学校時代に暗記させられたお陰で、懐かしさを感じるのは私ばかりではないと思います。
さて、4月より『地域社会における共生の実現に向けて新たな障害保健福祉施策を講ずるための関係法令の整備に関する法律』を根拠法とした、『障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律』(障害者総合支援法)が施行されます。法律の目的・理念も、これまでの障害者自立支援法のいう「自立」生活の支援から、「基本的人権を共有する個人としての尊厳」を保障した支援に置き換わるということです。国連『障害者権利条約』の批准を最終目的として平成21年1月に発足した障がい者制度改革推進会議による『障害者制度改革の推進のための第二次意見書(案)』によれば、これを「医学モデル(本人による障害の克服)から社会モデル(変わるべきは社会)へ」、「保護の客体から権利の主体へ」と表現しています。
新法について、法律名の長さが分かりにくいだけで、骨子として障がい者の人権が認められる方向性で理解できます。
新年度を迎えるにあたって、私たち支援者は、ご利用の皆様方へ、あるいは傾聴、あるいは同情、あるいは同意などの“心地よい合槌”となって、お一人様ごとのご希望を最大限活かした個別支援ができるようにしなければならないと思います。
(理事長 矢部 薫)