『交響曲第1番HIROSHIMA』の希求するところ〜平和〜

3月31日、この夜、付けっ放しにしておいたテレビ画面は、NHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家〜』と題して、「“現代のベートーヴェン”と呼ばれる日本人がいる。佐村河内 守(さむらごうち まもる)49歳。14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失いながら、クラシック作品の中でも最も困難とされる交響曲を書き上げた」(NHKホームページ、主旨)と紹介し、そして、“轟音(ごうおん)耳鳴り”といわれる猛烈な耳鳴りの中、降りてくる音の調べを絶対音感の中で組み上げていく(つかみとる)、つまり精神を集中させて頭の中の五線紙に音を組み上げていくという作曲技法を紹介していました。
こうしたところが、『交響曲第3番』前後に聴力を失い始め、40歳、『第7番』を完成する前には完全に聴力を失ったというベートーヴェンに似ているため、世間では“楽聖再来”とばかり親近感と期待感をあらわにしたいところでしょうが、作曲家はこのこと自体を恐れて、あるいは楽曲の評価が「負に働く」ことを恐れて、長い間、聴力の衰えを公表しなかったということでした。
私は、昨今の障害者アートの目覚ましい活躍を見、また古今東西の天才と称されてきたかなりの数の芸術家が、実は発達障害アスペルガー症候群)であったとの研究をも知るにつれ、障害も個性の一つと思えるので、この場合、一括りに“ベートーヴェン”でもなければ、評価に障害ゆえの加点も減点も無かろう・・・などとテレビを眺めて考えていました。
しかし、そんなことはどうでも良いとばかり、時折流れるメロディーに、和音の展開にふれ、完成度(芸術的凝集度)の高さに圧倒されたのでした。
4月27日、この朝、期せずしてテレビ欄で目にしたのは、東日本大震災の被災地で“希望のシンフォニー”と呼ばれるようになった、被爆2世である佐村河内氏が原爆投下後の世界を描いた80分の大作『交響曲第1番HIROSHIMA』を全曲流すというものでした。やがて、テレビを通して全曲を聞くにおよび、特に第1楽章「運命」の轟音(原爆の炸裂音?)と、第2楽章「絶望」を経て第3楽章「希望」の弦楽合奏(アダージェット)に重なるカリヨンの響きが、“神仏のまなざし”に感じられて、私は涙を抑えきれなくなりました。
時は20年以上もさかのぼって、当時の川越親愛学園の農場のこと、時節柄、5月ともなればジャガイモの芽かき、加えて生い茂る草取り(草との戦い)の始まる頃、作業開始後1時間も経てば、それまで利用者の皆さんに逐一手マネ足マネで見本を見せて、指示をしてきたのがまるで嘘のようにしーんと静まり返って、見渡せば一人ひとりが黙々と所定の位置で所定の仕事をしている・・・そんな光景が目に入ってきて、明らかに“神仏のまなざし”(あるいは神仏の恩寵・ご加護というべきでしょうか?)を感じたものでした。
それと同様の“まなざし”に違いないのですが、第1楽章のそれは人類史上最悪の惨劇にあっても神仏は共にあり、第3楽章のそれは復興に希望を託す人間の積極性にあっても神仏は共にあるというべきでしょうか。
もっと音質の良いもので聞きたいとばかり、先日、レンタルビデオのチェーン店の一部CD販売コーナーに、「一昨年発売されたCDは、音楽チャートでTOP10入りを果たし、J−POPと上位を競うなど、“偉業”とも言える空前のヒットを記録した」とおり、ポップス曲の中の唯一のクラシック曲としてHIROSHIMAは売っていました。
聞けば、ブルックナーマーラーショスタコービッチ的な調べも随所にあって、また、特殊な音楽技法も駆使されていて、マーラーの『第9番』以降の、本格的な交響曲を聞きたいと願ってきた私にはたまらなく素晴らしい作品と絶賛せざるを得ないのでした。
5月3日、憲法記念日。このところ、今夏の参議院選挙を前に、マニュフェストとして、先に第96条の国会の改正要件を緩和しておいて、機を見て第9条(戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認)の改正に踏み切りたい現政権の思惑を巡って、与野党各党の立場を明確にした論戦が活発化しています。
確かに、昨年あたりから、日本では周辺諸国との領土所有権を巡ったトラブルが頻発し、毎日のように他国による領海侵犯事案が報道される状況下、できればせめて自衛隊が積極的に自衛できるようにしたいという思いは世論を増やしていく傾向にあるかに見えます。
しかし、平和とは守ってからこそ平和なのでしょうか。他を制圧してからこその平和に意味があるのでしょうか。
ここのところは、世界で名立たる平和憲法・・・、武器を持たず、戦わない平和、ガンジー師の無抵抗(非暴力)主義やJ・レノン氏のIMAGINEをもう一度ひも解いて、だから平和憲法を守るのだ、そして日本国憲法によるところの“平和”を、情緒的な政権交代を繰り返すだけの昨今だからこそ、手続き上とはいえたやすく憲法改正の糸口を与えてしまうのではなく、自衛隊を実質上軍隊と認めて・・・などとする論議に堕するのではなく、将来的理想としてでも絶対平和への道を政府に守らせるのだという見識に立つべきだと思うのです。
最後に、佐村河内氏の言葉を引用します。
「闇が深ければ深いほど小さな光というのはとても輝いて見えるし、障壁があることによって生まれてくるもの、闇の中からつかんだ音、そういったものこそ僕にとっては真実の音じゃないかと思えて・・・」
私には、この“小さな光”が平和、復興への希望と読み取れますが、いかがでしょうか。
一句、
交響曲ヒロシマ 憲法記念の日」(井蛙)
(理事長 矢部 薫)