人生の寄り道〜「ギャップイヤー」とは?〜

いつものNHKテレビ番組『クローズアップ現代』は、この日、「人生に寄り道を〜今注目の“ギャップイヤー”〜」と題して、いきなり大学の今春の入学式の「ギャップイヤーを取ることも選択肢の一つでしょう」というような挨拶が映し出されました。何のことだろうと見続けているうちに、今年4月より東京大学では、新入生の希望者を対象に、1年間休学して社会体験を積ませる制度を開始したという・・・。
元々、イギリスから始まったこの制度は、大学に合格した学生が、高校卒業後に一定の休学期間を経てから入学するという制度で、日本では、秋田県にある国際教養大学が先駆的に始めていて、ギャップイヤー制度のスケジュールや体験談もネットで紹介しています。
また、日本経団連も注目していて、その『グローバル人材の育成に向けた提言』中、ここでは、企業の就職試験でギャップイヤー休学期間に理解を示すとともに、むしろギャップイヤーを経験した人材を高く評価するとのことです。
番組では、休学中の学生が海外でボランティアをしている例や、地方で農業体験をしている例を取り上げて、日本では休学も含めて広い使われ方をし始めているようでした。
その休学中の学生の、家族の猛反対の弁は、私に、過去の体験を思い起こさせるに十分で、いまだに少し苦くもありますが、体験談を紹介することにします。
若き日のこと、今も昔も同じように、私もごく普通に、自らの受験勉強の結果として中学からそれ相応の高校・大学と進んできたところまで、そこまでは同じだったのです。大学の入学式は1浪したおかげで、70年安保闘争の峠も越えてやや平穏となりかけていたように思います。しかし、何時しか、まもなく始まった沖縄返還闘争の嵐の真っただ中に身を置くことになってしまって、今日は新宿駅、明日は清水谷公園・・・、そしてあさま山荘事件を学生食堂のテレビで見た日から、気がつけば私の周囲から友達が次々に教室に戻って行って、残ったのは学生運動で培った自己総括(批判)ならぬ“考える癖”、つまり「この先、どう生きていったらよいのか?」!
そんなことがあって、家族・親類の猛反対を少しは受け入れた格好の、退学覚悟の“休学”を大学に申し出て、わが身とわが心は晴れて、4月から北陸は金沢の地へ・・・。1年半ばかり焼き物の見習いなどをしていたのですが、生きることへの疑問はますます深まって「人間いかに生きるべきか?」・・・、どうにもこうにも立ちゆきません。
そこで、大学の哲学科ならば人生を教えてくれるだろうと自答して、哲学の講義に出席して残りはアルバイト暮らし・・・。授業は、いつしかカント・ディルタイから西田幾多郎へ、出会った友人からは鈴木大拙を紹介されて、続いて清沢満之暁烏敏から親鸞の講座を受けるようになって、しかしながら「この、現実の自分はどう生きていったらよいのか」皆目見当がつかず、もう一方のアルバイトの水道工事はというと、2年も過ぎれば簡単なものであれば上下水ともに任されるようになって・・・、全くチグハグな毎日でした。
やがて、知り合った多くの学生も次々に金沢を離れて行って、とっくに休学中の大学に退学届を出していた私は、多少の焦りもあって市内・県内の企業に願書を送ったのです。ところが、返事はしょっぱなから卒業見込みの学生しか対象としない(定時計画採用)主旨の添え書き付きの履歴書返却・・・、学歴偏重社会、この時ばかりは家族の気持ちが、身に沁みて有難く思えたものでした。だが、万事は休す。
次に、野宿てくてく歩きの東北放浪の一人旅が来るのですが、このことは以前のブログに記述済みですので省略します。
ともあれ、福祉の道に進んで、まもなく37年、親愛会で34年にもなります。
今にして思えば、私の休学は、ギャップイヤーの意味合いとしては、“人生の「寄り道」”から逸脱した(あるいは“行き当たりばったり”)ものだったかも知れませんが、私流の“生き方探し”としては通らざるを得ない道だったように思います。正解はありませんでしたが、それまでは多少なりとも「思い通りになっていた」人生が、まったく「思い通りにはならないことだ」ということ、そして、だから行く道を選んだら自分から積極的に働きかけて世間にご縁を作る、この構造にしか人生はあり得ないのだというような、私なりの解釈ができたような気がしたのも事実でした。
ネット上のギャップイヤー反対論の中には、「大学生は結局、大学生」「実際に飛び込んでみないと自分がやりたいことが見えてこない」などの記述があります。
しかしながら、今風のギャップイヤー制度として、学校も企業も意義ありと認めていくならば、さらに、いったん就職してからもギャップイヤー制度が利用できるなど、活用によっては将来の人材育成としても一理あるプログラムになるのではないかと思えるのです。
もし休職して、制度を利用した企業に帰って来なくても(退職)、社会枠として別の生きがいのある就労先を見出してくれたならば、少子化社会の人材育成として、1人でも人材を活用したい、・・・1人でも有意義な人生を送っていただく制度足りうるのではないかと思うのです。
(理事長 矢部 薫)