福祉にかける熱き想い〜中澤健さんのこと〜

広報紙『Dari Kuching』第28号※が送られてきました。
毎回楽しみに拝読させていただいていますが、実はこのところ目を通す程度で済ませていました。でも、今回は何度も読み返しました。
執筆者の了解を得ましたので、その巻頭文を引用させていただきます。

「悲しみ、喜び、或いは充ちた思いか、虚ろさかさえ分からない。いろいろな想いを含み込んだ感情のことを「感慨」というのだろうか。今日、2013年4月18日、こういう不思議な感情になるとは、思い描いていなかった。
今から丁度20年前、思いだけを胸に、具体的な計画もなく、心細ささえ感じずに、マレーシア、ペナン島に着いた。最初の夜は、日本から予約していたホテルの一室だった。何もすることがなく、窓辺に立ちペナンの夜景を眺めた。
あれから20年、今はボルネオ島で既に10年になった。
嬉しいことも楽しいことも沢山あった。勿論困ったこと、辛いこともあった。嬉しくても悲しくても困っても、どの時も、いつも傍らにいてくれた友は「お酒」だった。
妻は“ただの酒飲み”という。ただのと言うのは、呑むことの他に何の取り柄もない!ということだろう。本当にその通りだと思う。お酒は、嗜む程度に程々に呑むのが良いというが、お酒と私の関係はちょっと違うと、私は思っている。
お酒で随分人に迷惑をかけ、若い頃から失敗を重ねてきた。未だに、呑まれるほど呑まなければ気が済まない。お酒は、特にこの20年間、私の「良き友」であった。昼は活動があり、夜になればお酒がある。いわばコンビを組んできた。
私の感慨の全てを、お酒は知っている。お酒のおかげで生きて来られた。悪友ではない。沢山の人たちへの感謝と共に、お酒にも感謝状を出したい。
ただの酒呑みのために、妻は今イバン族のお酒“Tuak”を仕込んでいる。(健)」

この文章をコピーして親愛会の職員に配布し話題にしようとしましたが、ほとんどの職員は「中澤健さんを知らない」と言います。確かに、20年も前のこと、中澤さんは50歳を区切りとばかりに、突如、厚生省障害福祉課専門官を退官してマレーシアに移住したのですから、今や遠い昔のことでもあります。
私と中澤さんとは、現在の県発障協で、中澤さんが当時国立秩父学園の調査室長であった関係で調査研究委員長に就任していて、その下で委員として活動させていただいたのが始まりでした。何年かして、丸山豊先生が当時の川越親愛学園第2代施設長として就任したあたりから、かつて秩父学園で丸山先生が中澤さんの上司であったことから急に私と親近感をもってお付き合いをさせていただくこととなった次第です。
私からすれば、中澤さんは障害福祉の大先輩で、多くのことを教わったわけですから、当然のように「中澤先生」と現在でも呼ばせていただいております。特に、調査研究委員会として泊まり込みで集計した夜には、お酒も入って・・・、画一的な措置の時代の精神薄弱者福祉法の目的をそっくりそのまま転記しただけの法人理念を暗記しているのが精いっぱいの私に、中澤さんは、その“理念”、すなわち障害福祉にかける思いこそ、法人運営に、施設運営に、そして職員一人ひとりの働く姿勢にとって大事だ、それは利用者本位(ノーマリゼイション)だというようなことを熱く語り明かされた、そんな思い出があります。
何年かして、中澤さんは厚生省専門官として異動されて、平成元年のある日、「グループホームの視察に行かないか」と誘われたのが、『北欧視察団〜グループホームを検証する〜』(山下勝弘氏企画)の視察旅行でした。北欧の入所施設に代わるグループホームについての情報は、前々から中澤さんから伺っていましたが、その実際を見に行って(検証)、同じ年に始まった日本のグループホーム制度のあり方の参考にしようというものでした。
話が長くなりますので、そのことは省略します。
それから数年して、上述したとおり、中澤さんはマレーシアに移住されて、その翌年だったようですが、その調査研究委員会の有志が集まってペナン行きが決行されたのでした。
中澤さんには、福祉作業所などの他、常夏のペナン島の島巡りやジョージタウンの観光も入れていただいたので、すっかりお世話になりました。
その中で一番学んだことは、CBR(Community Based Rehabilitation地域に根ざした福祉=地域福祉)の理念でした。要するに、マレーシアのように福祉後進国では、福祉リーダーが主にアメリカ等の先進国に学んで持ち帰って実践する上で、高齢も障害も児童も垣根のない福祉を地域ごとのニーズの中から形を作り上げていく、例えば日中活動の場であったり生活の場であったり・・・、やっと近年、日本の福祉でも言われるようになった多機能型のサービス事業所のようなあり様を福祉理念として推進していこうというものでした。
かくして中澤さんの現地での作業所作りなどの活動も20年が過ぎて、引用した広報紙の文中にもあるように、「感慨」、私ごときが察するに余るご苦労もおありだったのだろうか、と想像するばかりです。・・・
ただし、今日のところは、私も同じ呑兵衛として極上の随筆に接した思いで、遠い空の下、中澤さんの、引き続いてのご活躍と、くれぐれもご健勝をお祈りさせていただくこととします。
※印註:詳細は、「アジア地域福祉と交流の会」HP:http://ace-jps.com/を参照してください。
(理事長 矢部 薫)