生きるを支える❝Supporting One's Life❞

先日、親愛センターへ向かう道路上で、総合相談室のIチーフが前からやってきて、「あのう、親愛会の理念<生きるを支える>を英語表記にするにはどうしたらいいでしょうか」と、私に聞いてきました。
私は、とっさに「生きるはliveじゃなくてlifeで、支えるはsupportでしょうね」などと答え、後ほど私のところに来る約束をして別れました。
昼前に、彼女はやってきて、2つの案を手際よく説明しました。
親愛会では、今からちょうど5年前に、特養ホーム「みどりのまち親愛」の開設にともなって、それまでの障がい者を対象とした理念<一人ひとりの個性を大切に>から、高齢者も含む地域の皆様方の<生きるを支える(生きづらさを支援する)>理念へと枠組みを変えました。(※本ブログ「親愛会の理念と今後について(2018.8.31)」参照)
新理念の最初の文章となった、35周年記念誌『しんあい』中の「初心 生きるを支える~社会福祉の3つの“支える”~」には、
① “「ある、する」存在を生きる”を支える
② “家族の一員として生きる”を支える
③ そして、“人生の役割を生きる”を支える
が、その説明とともに記載してあります。
その意味合いを私なりに確認して、数年前まで英語圏の国で福祉職に就いていたN主任の助言も得たということなので、すんなり表題のとおりに決めることとしました。
親愛会では、今春より新型コロナ感染予防の一環として、利用者様の外出・面会、ボランティアの受入れなどの自粛をお願いしてきました。このことは、上記理念に矛盾することになりかねませんが、ここは利用者様の生命にもかかわる緊急事態です。各事業所の特性に応じて、自粛中にあっても、可能な範囲で“生きるを支える”ための工夫をさせていただいているところです。
そして、6月中・下旬より、埼玉県、福祉種別団体等の動向を参考に、法人として徐々に自粛緩和を進めさせていただいております。もちろん、それぞれの事業所により、そのスタンスは違いますが、特に入所(居住)型の施設では慎重の上にも慎重が求められます。
ところで、“生きる”について、5月末に再放映されたNHKテレビ番組『こころの時代』「末法の世を生きる」(2013.4.7、放映)で、小説家 高史明氏は、現代の“生きる”を“順次生(じゅんじしょう、『歎異抄』)”の考え方に拠り、生死の連続性(同時性)の中でとらえ直すことが大事だとしています。一部を引用させていただきます。
「現代の時代で、私自身の思いであるかもしれませんが、人が亡くなったらなるべく早く見えないようにしていく、一刻も早くといってもいいぐらい。で、そうでなくて、人が亡くなって特に身近な人の場合は、その頭のてっぺんから足の先まできれいに縁者が見つめて、それを私の言葉で言やあ、いただいていくと、その時に亡くなれば当然声はありませんけれども、その頭のてっぺんから足の先までいただいていくという気持ちで、きれいに亡くなった人の姿を私たちが手を合わせていただいていくと、声にならない声が聞こえてくると思うんですね。これがね、私は現代人が生きる上で非常に大事なことのように思うんです。現代はなるべく早く、亡くなったらすぐ、もう一刻も早く納棺してという作業にいって、昔はまだ形だけでも儀式が残ってましたけども、この頃は儀式すらだんだんなくなっていく。
そうしましたら人間が生きるということは、生きるという一字ではなくて、生死(しょうじ)という、生きると死ぬという二つの字で人間の生を見ている思いがあると思いますが、生きるということは同時に死ぬということを含んであって、死ぬということを本当に大事にしたときに、生きるということに光が私は当たってくると思うんですね
(理事長 矢部 薫)