今年の8月は~お盆のこと~

毎週土曜日午前の、少し長めの散歩は、この日、梅雨の止み間をぬって、お隣りの狭山市加佐志地区にある、羽黒神社の本殿左にある菩提樹の花が目的です。
本神社の『由緒書』によれば、「(今から300年ほど前に)羽黒大権現を勧請(かんじょう)し(当地の)氏神となったとき神木として菩提樹を植えた」とあります。現在の山形県にある神仏習合の時代の羽黒大権現を分祀した折に、釈迦がその木の下で悟りをひらいたといわれる菩提樹をご神木として植樹したということです。
別の説明書きによると、樹齢550年といわれるこの菩提樹に、満開過ぎの風情にあっても、なお葉裏に隠れるように咲いているものも多くて、あまり目立たないが確かに咲いています。顔を近づけると、ほんのりと花の香りが確かめられました。
そこから10分足らずのところにある、私の亡母の生家の墓地は、小さな阿弥陀堂の境内に50基ばかりの墓石が並ぶ共同墓地の中にあります。年月を経て、祖父母や大叔父叔母、叔父叔母、そして幼馴染みに至るまで、お世話になった人たちがたくさん眠られています。
この地のお盆は7月31日が迎え盆となります。今ではだいぶ簡略化されたとはいえ、奥座敷に盆棚を作って、家族・親族がそろって先祖の霊をお招きするという、盆迎えから盆送りまでの賑々しい一連のお盆の私の思い出は、今や、すっかりきれいになった墓地の前では、提灯の明かりのように揺らいでいます。新たに戒名の加わった墓誌に、しばし思いをはせたことでした。
さて、毎年繰り広げられる日本民族の大移動のような夏の帰省ラッシュは、コロナウィルス感染予防のため、都道府県によってニュアンスは違いますが、県をまたぐ移動を自粛して、今年は6~7割の人たちが盆参りを控える見込みとの報道がありました。代わりに、ふるさとの家族に送る線香が例年の3倍も4倍も、その売り上げを伸ばしているという。あるいは、代行業者による墓参で済ませ、リモートでその模様を逐一送ってもらうというサービスを紹介した報道もありました。
ところで、「親鸞は、父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にとて念佛申したること、いまだ候はず」(『歎異抄』)とあるように、浄土真宗では私たちのいうお盆は行わないとのことです。
真宗以外の多くの宗派では、『盂蘭盆経』などを根拠(起源)にお盆法要を行っているようですが、親鸞は、追善供養としての念佛、いや追善供養自体を拒絶しているのですから、お盆も例外ではありません。
上記続きに、「(意訳)すべての生きものは、みな果てしもない遠い昔から、生まれかわり死にかわり、無数の生存を繰りかえしてきたものです。そのあいだには、お互いに、あるときは父ともなり、母ともなり、またあるときは兄ともなり、弟ともなりあったことがあるにちがいありません。
生きとし生けるものは、みななつかしい父母・兄弟なのです。この生を終わって、次の生で浄土に生まれ、仏陀になったときには、一人ものこさず救わなければならないものばかりだからです」(梯實圓(かけはしじつえん)「聖典セミナー『歎異抄』第五条」より)
とあります。
私の今年のお盆はやや控えめながら、その分、親鸞聖人の教えに思いをめぐらせるよい機会にしようと思います。
(理事長 矢部 薫)