お悔み申し上げます〜津久井やまゆり園事件に際して〜

先週の26日午前2時過ぎに、神奈川県下の障害者支援施設で事件は起きました。
私たちと同じ福祉業界の中で、それも元職員による犯行ということですので、利用者19名の奪われた命を思うとき、言葉(活字)にならないくらいの痛ましさを覚えます。
当日早朝より、新聞・テレビ等で、次々にその詳細が報道されて、今なお、その見出しでさえ背筋の凍るほど衝撃的です。また、海外メディアも取り上げることとなって、一部には『銃の無い社会でも大量殺りくは起きる!』と放映されたと聞いています。
また、当事者の団体である全日本手をつなぐ育成会連合会では会長名で、26日に国民向けの『声明文』を発表し、翌27日には当事者向けに『障害のあるみなさまへ』と副題し、
「(略)
障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。
障害があるからといって
誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。
もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、
私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。
ですから、安心して、堂々と、生きてください。
と発信しました。
他方、厚生労働省、日本知的障害者福祉協会、全国社会福祉法人経営者協議会、埼玉県発達障害福祉協会等より、この事件を遺憾とする声明や防犯体制の強化等の緊急文書が、私たち法人施設に相次いで通知されました。
親愛会では、かつて、神奈川県下、同法人の経営する他施設2か所を見学させていただいたことがありました。特に、南の里開設前に訪ねたA施設では、高齢病弱の障がい者支援について前向きに取り組まれている様子を拝見し、参考とさせていただきましたので、不幸にも惨劇に遭われたことに深い悲しみを覚えずにはいられません。
親愛会としては、早々に、各施設・事業所に安全管理体制の再確認を行うように指示しました。
さらに、これを教訓に、今、親愛会の職員に、日々の仕事における姿勢について伝えるならば、次の文を借りて、訓示したいと私は思います。
今生(こんじょう)に、いかにいとほし不便(ふびん)とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。〜『歎異抄』第4条より抜粋〜
(この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません)
(中略)
社会活動には、純粋な思いだけではどうにもならないことがたくさんあります。真面目に関われば関わるほど、できないことがわかって落胆もします。また、一方で、かなりいい活動をしている気分になることも・・・。しかし、そんなとき、「自分が立派なことをしている気になっているのじゃないか?」「よくよく考えると、自分の都合を振り回しているだろう?」と、第4条がささやいてくるのです。これはとてもありがたいことです。逆に力をいただきます。
自分は正しい、と思った瞬間に見えなくなるものがあります。そして次第に偏っていくのが私たちなのです。慈悲の活動を目指しても、いつの間にか偏ってしまう。自分の都合を振り回してしまう。その自覚をもって活動し続ける。」
これは、NHKテキスト100分de名著『歎異抄』(釈 徹宗著)の中で、著者は、上述のことこそ社会奉仕活動を行う上で大切だ、そして、仏教者ですので「究極の慈悲である「仏と成って人々を救う」(還相)を目指すのです」と結んでいます。
多くの福祉関係者を震撼させたこの事件を機に、私たち一人ひとりの職員に、上述のような謙虚な姿勢(自覚)をもって行動することが求められ、再認識されるべきと強く思います。
本事件で犠牲になられました利用者の皆様方に対し、親愛会役職員一同、心よりお悔やみ申し上げます。
(理事長 矢部 薫)