今年印象に残った言葉〜その1.死ぬまで歩ける人生〜

普段何気ない生活の中で、あるいは仕事の中で、ふと耳にし目にした言葉のうち、何時までも心に残る言句があります。今年、私の印象に残った言葉を、2回にわたって紹介したいと思います。
(その1)
「自分が正しいと思う方向に向かって正々堂々と歩く
死ぬまで歩けるその人生さえ構築できれば
自分自身の中で精神的に敗北することはない」
8月30日放映のNHKアーカイブス「あの人に会いたい」の中で、この4月に亡くなった名優 三國連太郎さんの、本人の話で紹介していた言葉です。
三國さんは、映画『釣りバカ日誌』シリーズの“スーさん”役で、西田敏行の“浜ちゃん”との軽妙なやり取りは、それまで演じてきて、その後も多くの作品で演じ続けた重厚で渋い役柄とは打って変わって、新たに幅広い年齢層の三國ファンを作ったように思います。少し調べますと、俳優になる前の波乱万丈の人生や、俳優になった後の数々のエピソードで伝説化している破格の生き様は、怪優あるいは奇人として映画界で有名だったとのことです。
三國さんが、晩年、その人生を顧みたときに語った、この言葉は重い。私なりに解釈しますと、人生とは、「精神的に敗北し」て、自暴自棄になるのではなく、「正しいと思う方向に正々堂々と歩く」こと。そのためには、「死ぬまで歩ける人生」なるものを「構築して」ゆかなければならない、と言っているように思えます。
ちなみに、私は、40年近くも前に、福祉業界を「死ぬまで歩ける人生」と決めたのかと言われると、ほとんど嘘になります。それよりも、私なりの「考え方の構造を手に入れること」に時間がかかり、「これさえ手にすれば、とりわけ職業としての人生はご縁の中で考えればよい。あらゆる職業は人のためにあるのだから・・・」とばかり、若き日にいくつかの回り道を要したのが本当のところです。結果として、考え方の構造は吉本隆明著『共同幻想論』であり、テーマは唯円著『歎異抄』に負うところが多いと言うべきでしょうか。
それがおぼろげながらも確信に近づいていたある年のこと、折から友人が携わるようになった障害福祉施設の見学が、後に、私が福祉に身を置くきっかけになったのでした。
かくして、今あるも、職業としての人生ばかりではなく、「死ぬまで歩ける人生」観として構築した「考え方の構造」を今後も引続くものとして、もう一つ、禅でいう公案(修行者が悟りをひらくための課題)のようなものとして位置付けている「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(『歎異抄』第3章)は、私にとって永遠のテーマなのです。少し重すぎるでしょうか。
親愛会では、毎年、職場に新任職員を迎えています。そして、2〜3年もすると、今いる職場が、職種が「死ぬまで歩ける人生」なのか、ふと立ち止まり、考え、迷う職員も見受けられることがあります。そこで、来年度より「ギャップイヤー制度」(5月27日記述のブログ参照)を導入して、希望者には1年以内の休職の中で、もう一度人生を考え、リフレッシュしていただきたいと考えております。
そして、新たな視野で、自信をもって「正々堂々と」事にあたり、積極的に仕事をしていってもらいたいと願うものです。
(理事長 矢部 薫)