今年印象に残った言葉〜その2.対人援助サービスを行う姿勢〜

(その2)
「自分の死はできるだけ軽く考え、人の死は重く受け止められたら、上等な人間になれたことなんです、私にとっては。」
9月16日の朝日新聞敬老の日特集』に、作家の曽野綾子さんが記者の質問に答えた形で“先輩の言葉”として紹介された記事の一部です。
曽野さんは、近著『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書)で注目を集め、先月、テレビ番組『金スマ』に出演してアフリカの飢餓の母子のあり様を語っておられたので、改めて印象に残された方もおありかと思います。
少し調べますと、作家で、「1995年から2005年まで日本財団会長職を務め、笹川良一の死後、日本船舶振興会を無給で引き受け、通称を「日本財団」と定めて福祉目的の活動に力を入れた」とありました。
今や、白地に“緑色の大きな手と顔(ロゴ)”が覆い包む日本財団寄贈の“福祉車両”が町中に走る風景は、福祉関係者ばかりではなく、すっかり市民の目に定着したというべきでしょうか。親愛会でも、大変お世話になっておりますが、曽野さんが尽力されていたことは、私ごときはつゆ知らずにいたことを大変申し訳なく思います。ここに改めて感謝申し上げる次第です。
さて、私たちが、「自分の死」を考えるとき、あまりにも重く考えて、恐れおののき、行く先々を思い煩っていたのでは日々の生活にも支障が出てきます。ここのところは、「できるだけ軽く考え」ることによって、明るく前向きに生きることが可能でしょうか。他方、人の死を「重く受け止められたら」豊かな人生が送れるというのでしょうか。敬虔なクリスチャンである曽野さんの言葉は重いのです。
6月のある日、親愛会職員の大谷治彦さんが、福祉系専門学校の就職セミナーの中で、「対人援助サービスを行う姿勢として、死を例えて使うには極端過ぎるかもしれませんが・・・」と前置きし(柳田邦夫氏の“二人称の死”を引用して)、
「人間の死に、まず一人称の死があります。自分の死です。これは、怖い、恐ろしいと言っても、誰にも体験できません。二人称の死というと、二人称で呼び合う身近なところ、家族の死があります。これは大変つらい。そして、三人称の死はというと、今朝の新聞にインドで洪水により300人の死者が出たのを知っている人はいますか。知っていたとしても、家族の死のようにつらくはない。いわば他人事ですらある。私たち福祉をやる人たちは、つい一生けんめいのあまり、対象者にのめり込んでしまう。すると、いつしか対象者が家族のように思えて、二人称の死としてとらえ、ひどくつらくなってしまい、自分を追いつめてしまう。かといって、対人援助の中で、三人称で他人事として突き放すわけにはいかない。そうならないためには、2.5人称の死という考え方を提唱したい。」
と発言したところ、私も含め満場の拍手を得たことがありました。
2.5人称とは数字として半ばで、ちょうど良いのですが、実際にはそう簡単に割り切れるものではありませんから、曽野さんの言い方を借りれば、人の死は三人称より「重く受け止められたら」単に他人事では済ませなくなるし、自分の死は「できるだけ軽く考え」れば深く思い詰めることもなくなる。そして、身近な死は二人称よりも「軽く受け止めたら」どうにか乗り越えられる、ということにもなると思います。
親愛会では、困難ケースを抱え込んだままの各種相談員や、日々の支援に解決の糸口がなかなか見つからないケースを担当している支援員がいて、年々重度・高齢化がさらに重症化した利用者の増加傾向の中、時に施設内でお亡くなりになる人も出て、職員はその都度思い悩み、怖れ、そして自信をなくしてしまいがちです。
そのような中にあって、お二人の言葉は、モチベーション(仕事への動機づけ)のスイッチを再び入れてくれるように思います。
なお、曽野さんの記事の最後に、これからの日本を担う若者に伝えたいこととして、
「(何をしても自由なのだけれど)ただ本をたくさん読んで、勉強する人だけがおもしろい人生を送れるんです。嘘みたいでしょう。」
と結んでいて、これには、本好きの大谷職員も私も全面的にうなずいてしまうのです。
※参考:柳田邦夫著『犠牲 わが息子・脳死の11日』(文芸春秋社
(理事長 矢部 薫)