39年目のお付き合い〜秋、墓参行〜

昨年9月から10月にかけて、川越親愛学園(現、川越親愛センター)設立当初からご利用いただいた3名様が次々にお亡くなりになられました。各ご遺族様ともに「家族葬で行いますから・・・」とのご意向でしたので、所属施設の代表数名のご焼香にとどめさせていただきました。
現場を離れて久しい私は、「四十九日が過ぎてから墓参に・・・」と心していたのですが、月日はあっという間に流れてしまい、先日のこと、9月に入るや1周忌を前にせかされるように車を走らせたのでした。
一人目の墓所菩提寺とは別で、以前にご本家にお尋ねしたところ、「案内しますから家に寄ってください」とのことでした。十数年ぶりとはいえ、これまでに何回かおじゃましたこともありましたので、まちがえることもなく到着することができました。故人の母親は長年病弱であったので、何かとお世話くださったご本家は、故人の生家の近くにあって、農家のたたずまい・・・、幼少期には故人も毎日のように遊びに行ったことでしょう。
軽トラックの車中におられたご当主の携帯電話が終わるのを待って、「あのう、親愛の矢部ですが」と切り出すと、「ああ、よく知っているよ」「案内するからついてきて・・・」と歯切れがよい。2〜3分で到着したのは、刈入れまじかの稲田と集落が織りなす田園風景の中の共同墓地でした。
「ここをこういうふうに行けば」と案内された墓所には今風の墓石が建てられてあって、墓誌には少し前に亡くなられた母親と故人の名前が並んで刻んでありました。故人の面会に、帰省に、多くの行事に参加されていたおば様の様子を聞くと、ご当主は「特養ホームで車いすだけど、マア元気だ」と答え、「〇〇日に身内だけで1周忌をやる」と付け加え、「じゃあ」と小首を下げてトラックに急ぎ戻りました。
私は、トラックの後ろ姿に一礼申し上げてから、正面に向かい「少し早かったけど、よかったね。お母さんと仲良くていいね」と、ご本家の心温かさに感謝しつつ、焼香させていただきました。
二人目の墓所は市内方面に少し戻ったところで、地名を頼りにカーナビ画面に行先指定をして行ってみると、不思議なことに、辺りはほぼ故人の生家前のはず・・・。なおも先へゆるゆると車を走らせると、最初の墓参同様の共同墓地の中ほどに、〇〇家とありました。
まもなく、生家前あたりで追い抜いた3〜4歳の孫連れの年配の女性が歩いてきたので、「確かあの辺りに・・・」と聞くと、2軒の新しい住宅を指さして、「ああ、(ご当主の)〇〇ちゃんは、何年か前に町中に越して行った」と、教えてくれました。
墓誌には、旧家らしくいくつもの戒名が記されてあって、最後の故人の前1行に・・・、「そうだ、お母さんは〇〇さんとお呼びしたんだ・・・」と、私は忘れかけていた記憶を確かめることができました。そして、「お久しぶりでした」と前置きして、合掌しました。
三人目の墓所は、故人の生家と道路の間に広がる畑を左に見て、少し行ったところ・・・、市内では名刹の一つを数える菩提寺境内にあるとのことです。石段を上ると、右手に札所の受付所が構えてあって、反対側には何組かの若者が朱印の順番を待っていました。頃合いを見つけて、「〇〇家の墓所を教えてください」とお願いすると、筆を休めた僧侶に、「お地蔵様のわきを過ぎて一番奥ですからすぐに分かります」と、丁寧に教えていただきました。
旧家の墓所にある数多くの墓石の中、正面左にある墓誌には、少し前に亡くなられた父親と、ずっと前に亡くなられた母親の次に、確かに故人の名前が刻んでありました。
「〇〇さん、1年ぶり、お待たせしました!」と声をかけたら、いろいろなバリエーションのひょうきんな返答が聞こえてきて・・・、それは、「来てよかった」のでした。合掌。
お三人様とも、生前38年のお付き合いでした。そして、当日は39年目のお付き合いとさせていただいたことでした。
(理事長 矢部 薫)