あれから30年〜自治会班長ふたたび〜

今春、私の住んでいる自治会班の2回目の班長が巡ってきました。3月中に自治会館での新旧交代式、初会合を済ませて、4月より回覧板やら自治会費・班費の集金、そしてごみゼロ、運動会など地区自治会行事など、結構なヒマと時間をかけての地域の共助・互助活動が始まったわけです。
前回、班長をお引き受けしたのは、計算上は、2年任期の14軒だから28年前になります。が、ふた回り目がすでに始まっていて、さらに何軒かの転入・転出があったことを考えると複雑になりますが、資料によると偶然にもちょうど28年前ということになりました。前回の班長時代2年目の夏に、班内にある雑木林をお借りして自治会班のバーべキュー大会を盛大に行ったことがありました。私も40歳になる年で、齢恰好も似たご主人たちも何人かいて、明るいうちから大いに飲みかつ歓談・・・。夕やみが迫る頃には、次々と帰ってくる中高生たちを呼び込んで、老若男女総出の会となったことでした。家々の家族構成はというと、おりから第二次ベビーブームのただ中、親も子も、年齢差はあっても子育てまっ最中の家がほとんど・・・。時を選ばず自然発生的に道端で開催される井戸端会議全盛期!の時代でした。
また、親愛会に近いこともあって、法人・後援会の役員(会員)をはじめ、施設の行事等のボランティア、また細かな修繕工事事業者として、快く引き受けてくださるなど、多くの皆様にご支援・ご協力いただきました。
やがて、必ずしもお年寄りから順にというわけにはいきませんが、ポツリ、またポツリとお亡くなりになる方も増え、子どもたちもやがて独立し、多くは市内・県内・県外へと親元から離れていきました。さらに、リタイア家族の転居も続いて、そして、高齢者の独り暮らしも目立つようになりました。そのほかつけ加えるとすると、まずごみの量が減少して、特に酒類の空き缶・空き瓶の類いはわが家以外ではめったに出なくなり、幼児子どもの遊ぶ声もめっきり聞こえなくなったことでした。
このことは、大都市郊外のご多聞にもれず、とうとう私のまわりにもやってきたと、少しばかり暗たんたる思いにかられることになりました。
1970年代に開発された東京郊外のマンモス団地の少子高齢化問題は、たびたびテレビニュースでも取り上げられて久しいが、いわゆる通勤圏内に大小の不動産会社によって次々に開発された駅周辺の戸建て、あるいは低層階の集合住宅での空き家・空き室の急増は川越市内においても例外ではなく、自治会の継続、民生・児童委員の活動にも支障をきたす事態となっています。
そんな中、私たちの自治会班から転居された家の跡地に越されてまもないご家族に初子の誕生の知らせが届いて、早速、自治会班としてお祝いをお届けした次第です。また、来年4月には、おそらく25年ぶりに小学1年生が誕生します。もちろん、この程度では単独で子どもたちの通学班を編成できない状態がしばらく続くことになりますが、久々に明るい話題となりました。これで班の将来も・・・!と期待したいところですが、まずは“希望”といったところでしょうか。
おりから10月7日には地区運動会が開催されました。私はどうしても抜けられない用事がありましたので係は代役で済ませました。
結果、地区22自治会中、参加18自治会の強豪ぞろいにあっても奮闘!・・・、昨年に引続き総合優勝に輝いたとのことです。急速に高齢化しているいくつかの班をかかえながらも、わが自治会の底力に感服でした。
(理事長 矢部 薫)