もう一つの人生〜定年を考える〜

この日、4人が顔を合わせたのは10年ぶりにもなるのだろうか、誰も定かではありません。かと言って確認するでもなく、まもなく運ばれてきたビールで、「Yさん、長い間お疲れ様でした。乾杯!」。
5月末のこと、旧友のYさんから、都内の救護・障害・高齢者等々の施設を多数経営する大きな法人で40年間にわたり勤務してきて、今春めでたく定年退職を迎えたという便りがありました。それを受けて、メンバーの1人の上京に合わせ、先日、仲間内のささやかな慰労の会を開催した次第です。
定年前後の年頃ともなれば、話題は1つ・・・、退職後何をするのか。しているのか。
一頃前の、定年退職後のあり様として、『自分史』を書くなどというのがありました。しかしながら、我々、団塊の世代ともなりますと、一般的にはそれなりの戦後復興期の大人の苦労を見て育ったとはいえ、自らがさしたる清貧を強いられたわけではなく、特に高度成長期からバブル期へと日に日に生活が豊かになっていくのが実感できた時代でした。ゆえに、私たちより先輩方の戦前戦中戦後と、テレビドラマでよくあるパターンのような劇的な人生を生き抜いてきたわけではありませんので、個人的にご苦労されたならともかく、私ごときは平明でとても自分史にはならないような気がします。
私の友人で定年退職を迎えた中には、早々に東南アジアのある国に『移住』してしまった者もいますが、多くは少し離れた『田舎暮らし』さえもままならず、自宅付近にわずかの面積の家庭菜園を借り受けて、『野菜つくり』に汗を流すくらいが精いっぱいのところではないでしょうか。
「矢部さんはいいよな。趣味が多くて・・・」、いつしか話はそんな展開になりましたが、『ジョギング』をやろうが『俳句』を作ろうが、それは趣味が一致した人間が出会った時の話・・・、「いいよな」とぽつりぽつりは続くけれど、何か話題として物足りない。
当該のYさんにあっては、若き日、某大学の海洋学部出身で船乗りをしていたという異色の人生経験を持っているので、さては・・・とばかりに『海外旅行』をふってみても、伊豆七島の『海釣り』や身近な奥多摩の『川釣り』の話をしても、なぜか乗ってこない。それどころか、「毎日が日曜、サンデー毎日!」などと相変わらずの冗談好き、明るく笑っていました。
ついに、「Yさん、しっかりしてくださいよ。朝から『テレビ』漬けでは長生きできません!」という事態になってしまいました。
そこで、やおら、Yさんは「実は、還暦を前に『里親』を始めてね」と、児童養護の里親制度を使って自宅で始めて7〜8年になるらしいこと、そして、奥さんの発案であったこと、現在2人の子供がよくなついていて毎日が楽しくてしようがないといった話を切り出して、周囲は一変!「そうですか、素晴らしい」「素晴らしい第二の人生だ!」の賛辞に変わり、そして「子育ては若いうちばかりが能ではない。むしろ社会経験(子育て経験は必ずしも里親要件ではない)を積んだジジババの方がゆとりを持って育てられる」の積極論に、・・・当人は少し遠慮がちに、でも力強く「だから、子供たちが成人を迎えるまで、そう80歳になるまで元気で生きていなくちゃダメなんだ!」と結んで、時間はあっという間に過ぎてしまったのでした。
そして、「明日、子供たちを温泉に連れていく約束があるから・・・」と、握手して別れました。
ところで、現代社会の問題として、家庭で子育てが上手くいかずに悩み、挙句の果ては虐待に走るなどという事件が後を絶たない昨今です。厚生労働省『社会的養護の現状について』によると、全国的に養育困難等々諸般の事情から子供を手放さざるを得ない事例が多く、家庭に代わって公的に養育する仕組み「社会的養護」、つまり里親等家庭的な環境の下で子供たちを養育する「家庭的養護」と乳児院児童養護施設などの児童福祉施設で養育する「施設養護」へのニーズは依然として高いものがあること。中でも、虐待を受けた児童と障害等のある児童は増加の一途をたどっていること。また、里親等委託率は欧米主要国がおおむね半数前後を里親委託としているのに比して、日本は1割程度と低く、施設養護に大半を依存しているとの指摘があります。
他方、私たちがまもなく突入する65歳以上の前期高齢者を取り巻く環境は一段と厳しく、年金の据え置きから引き下げ論、そして65歳からさらに70歳まで定年延長が論議されております。いわゆる団塊の世代以降の、定年後(老後)の生活に、忍び寄る健康不安とあいまって「生活していけるのか?」「いつまで働かなければならないのか?」と、深い影を落としています。
それならば、一層のこと、Yさんのような人生もありと腹をくくって、体の続くかぎり頑張ってみるのもこれまた人生なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
ちなみに、農林水産業や商店・工務店・工場などの個人事業主には定年はないのですから、定年はきわめて日本的な公務員と会社サラリーマンの世界と認めて、定年を機に自らの退職の時期を自ら決められる仕事(世界)に挑戦してみるのも、お座なりではない、もう一つの人生を生きる(高齢期を生きる)ということになるのではないかと思います。
(※アメリカでは、年齢を理由とする就職差別は連邦法によって禁止されていて、定年はないということです。)
(理事長 矢部 薫)