春浅き日〜Iさん訪問記〜

土日に降った雪は、この辺では20年ぶりなのか、30年ぶりなのか、11日(祝日)の、いつもより少し遅めの早朝散歩は、まだ雪の残るコースを避けて、普段はあまり通らない大通りを選んで歩いていました。
「そうだ、この近くの特別養護老人ホームにIさんが入居しているんだっけ・・・」
途中の和菓子屋に立ち寄って、そして
「もうしばらく会っていないから・・・、高齢だから・・・、もしや・・・」などとためらいながら、でも、「それでもいい」とばかりに恐る恐るS特養ホームの受付で本人の所在を確かめると、「2階にいらっしゃいます」との応答がありました。
早速、教えられたとおりに2階の長い廊下を行くと、やがて多床型ホームならではの広い多目的室に出ました。すると、十数台の車いすと数台の移動ベッドにより、1か所に集められた入居者の皆さんが、あるいは介助を受け、あるいは声をかけられて、午前のおやつをいただいているところ・・・、そのうちの1つの長テーブルの隅に動物のぬいぐるみが3つ置いてあって、それを前におやつを食べている見覚えのある横顔が目に入ってきました。
「こんにちは」
「・・・(?)」
「誰だか分かりますか?」
「分かんない」
今度は大きな声で、
「親愛学園の矢部です」
すると、うっかりしていたとばかりに、表情が和んで・・・、一言
「久しぶり」
スタッフに許可を得て、持参の茶まんじゅうを小さく切り分けて食べていただくこととしました。すると、Iさんは、畑仕事で一緒だったS兄弟は元気でいるか、学園在園時には20周年記念で北海道旅行に行ったので次の30周年はいつで、どこに行ったのか、職員のSさんはどうしているか等々、記憶も鮮やかに話を弾ませました。ただし、話の流れから思わず発した私の言葉「お兄さんは亡くなって何年になるの?」「N先生夫妻もお二人とも元気でいるよ」には、Iさんにとって特別に親身にお世話をしていただいた人の記憶を呼び覚ませてしまったようで・・・、少し声を詰まらせて涙ぐまれたので、不用意な発言だったと詫びた次第です。

Iさんは、その昔、当時、それまで住み込みで働いていた外構工事店から川越親愛学園(現、川越親愛センター)開設と同時に入所された1人でした。間もなく私の担当する利用者ということになり、私の家も近所にあることも影響して、それから親愛南の里に移動になって、さらに2年後に他の法人施設に移るまでの間も含め、時に家族ぐるみで大変親しくさせていただいた経緯がありました。40歳半ばでの入所でしたので、最年長者として畑仕事はきつかったと思いますが、それでも前述のSさんたちに率先して最大2ha以上もあった広大な畑を耕して、主にジャガイモ・落花生などを作付けし、除草、そして収穫まで一生懸命に働きました。それから何年かして始まった100羽以上の鶏の放し飼いによる飼育、採卵作業をほとんど1人でこなして、まさに生きがいのように過ごされた親愛会での施設生活25年余だったように思います。
近所の人から、いつしか“たまご屋のおじいさん”と敬意を込めて呼ばれるようにもなったのは、Iさんの仕事ぶり、人柄が評価されてのことのように思います。そのIさんの趣味は、当時飼っていた3代3匹の犬の散歩と日記、たまに行く相撲見物、そして気が向いた時に描くクレヨン画で、現在、理事長室の壁に「しんあい祭り(旧収穫祭)」の絵が額装されていて、そこに私が貼ったものに違いはないのですが・・・、小さな紙片に詩文が添えられています。
『春あさき水にきて』
畑しごとおえたれば この子らと
春あさき水にきて くわをあらいぬ
われも子らも 水のつめたさをいわず
ていねいに 土をおとしぬ
〜近藤益雄〜
「この子ら」との生活は大先達の『のぎく寮』の話ですが、この川越の地にも、時を遡ること今から2、30年余に、利用者も職員も曲がりなりにも“共に生きる”を実践しようとしていた障がい者の入所施設の暮らしがあったのでした。

食べ終わった頃に、
「部屋を見に行く?」
と誘われるままに、車いすを押していくと、そこは4人部屋の一角で、他の3人のベッドとは明らかに違っていて、Iさんのベッドを囲む2面の壁の張り紙の中に、見覚えのある親愛南の里の退所(お別れ会)の色紙や横綱貴乃花関の相撲手形があって、そして大小様々のぬいぐるみ(主にクマのプーさん)が枕元からサイドテーブルに置かれていて、聞けば職員に買ってきてもらったということでした。
時間もそこそこ経ったので、
「そろそろ帰るね」と私が告げると、
「また、たまには来てくれる・・・?」と少し寂しげな言葉が返ってきました。
私は、今年79歳になるというIさんの手を握り締め、「必ず来るからね」と約束して、特養ホームを後にしました。

今、ところで、何でぬいぐるみが“クマのプーさん”なのか、次に行ったときに聞いてみようという気がして・・・、私が思うに、Iさんが可愛がっていた“ワカタカ(若貴)”犬の前に飼っていたのが“クママル(熊丸)”犬で愛称は“クマ”・・・、それはそれはシェパードの血を引く賢い犬でしたので、Iさん得意のダジャレで“クマ”のプーさんになったものとしたいのですが、どうでしょうか。
車椅子 眺むる先の 四温かな(井蛙)
(理事長 矢部 薫)