極上の散歩道〜心の通う道〜

7、8年前からジョギングを始めて、毎週土曜日は10km余りを1時間少しかけて、決して無理をせず、周りの景色を眺めながら走ることを楽しみとしてきました。が、寄る年波、この1、2年はかなり気合いを入れても、当初のようなタイムは出なくなりました。加えて、公私の都合と、体調不良を理由に休んでしまうと、次に走る時までは2週間のブランクになってしまい、元の走りを回復するのに時間がかかってしまいます。
それでも、何とか続いているのは、走り終わった後の爽快感!これに尽きるのかも知れません。
そのコースの途中、狭山市堀兼地区にある、中新田交差点先から赫下(はけした)バス停手前までの細道は、現在の入曽街道(茶摘み通り)から少し住宅地に寄ったところ、家々の門前をかすめるようにしてたどる美しい田舎道です。入母屋造りの農家の甍(いらか)、土蔵の白壁、古い製茶工場や物置のたたずまい・・・、“ゆっくり走”とはいえ年相応の身に応え、息が上がってなかなか見ているようで見ていない。大雑把な景色、特に目に入るものだけに限られます。
翌日曜日は、一転、家内との散歩道・・・。農家の庭先には、ろう梅・梅・こぶし・木蓮・桜・花桃・花水木・牡丹・芍薬・つつじ・皐月・百合の花、珍しいところでは西洋人参木(せいようにんじんぼく)が製茶工場直営店の横に咲いて、半夏生・秋海棠・水引草や女郎花(おみなえし)、その他季節の園芸草花を植えたお宅が連続して、春夏秋冬、飽きることはありません。途中の“生垣(いけがき)の小径”と称した辺りは、道の両側に柘植(つげ)や満天星(どうだん)つつじをきっちり刈り込んだ生垣が続いて、昔ながらの武蔵野の、新田集落の風情を醸し出しています。
このこと以上に私たちを喜ばせてくれるのは、行き交う人はもちろん、早朝の庭先で畑仕事の準備をする農夫たちも必ず挨拶をしてくれることです。さすがに20年前のように、たまに歩く私たちにさえもきちんと挨拶をしてくれる子供たちはいなくなりましたが、それでも時にクラブ活動に向かう自転車の中学生から「お早うございます!」と挨拶をされることがあります。もちろん、こちらから声をかけた場合は全員から挨拶が返ってきます。
ところで、道半ばのところに寺院があって、いつも掃除が行き届いていて、境内の空気に触れるたび、いっとき清々しい気持ちにさせられます。その寺のわき道を上ると、校庭の真ん中に大きな楠のある小学校があって、裏手に中学校があります。
中学校にさしかかると、毎回楽しみにしているものがあります。正門を入った左手にある体育館前の掲示板です。
4月には、
まだ何も書かれていない予定表何でも書けるこれから書ける俵万智
春風や闘志いだきて丘に立つ高濱虚子)
と、見事な楷書で書いてあって、
5月は、
春すぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山持統天皇
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心石川啄木
でした。
先日、部活の準備で校門を開けた先生らしき人に、
「あのう、この掲示板に書かれるのは、どなたですか?」と聞くと、
「国語の先生です」との答えが返ってきました。
私は、「そうですか、いつも楽しく読ませていただいております」と、一礼して、「いい先生がいるね。これは一月ごとの生徒の心情に沿った、心づくしの応援メッセージだ。1人でもいい、生徒の心に届けば・・・の思いだね」と、連れに語りました。
まもなく季節は夏・・・。
今年も、7月8月には、
噴水のしぶけり四方に風の町石田波郷
の句は掲示されるのでしょうか。
(理事長 矢部 薫)