虫時雨(むししぐれ)記〜あるいは”スズムシ騒々記”〜

9月に入ってから、家内がスズムシ(鈴虫)を知人からいただいてきました。早速、70〜80匹もの虫が玄関のあがり口でいっせいに鳴き(羽を擦って音を出す)だしたのですから、すさまじい音量かつ音色です。
角田忠信氏(東京医科歯科大学教授)によれば、正確には日本語を母語としているかどうかによるそうですが、他の民族は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳(右脳)で処理するのに対し、日本人は言語脳(左脳)で受けとめ、雑音ではなく、言語のように意味をもたせて聞いているのだといいます。確かに、スズムシは鈴虫、その名のとおりリーン、リーン、リーンとまるで鈴を鳴らしているように聞こえます。いや、聞こえるはずです。
本当にそうかと思いますが、目の前の事態は、耳をそばだてて聞くまでもなくかなりやかましい。鳴き初めはややコオロギに似てルルルのようにも聞こえます。また、本体のリンリンも、数に圧倒されて聞いていると、クツワムシのガシャガシャ音のようにも聞こえて・・・、こう思って聞くと、うるさく聞こえてきます。この人工飼育上の様相まで虫時雨(むししぐれ、秋の季語)と呼んだら俳人に失礼でしょうか。
余りにも多いので、飼育箱を2つに分けてみると、隣同士同じタイミングでまるで1つの箱のようにリンリンと鳴いています。そこで片方の箱を階段の陰に置いてみたところ、初めは階段の陰の箱が先に鳴いて、追って玄関の箱が鳴いて・・・を繰り返していましたが、いつしか玄関が主導権を握ったかのように先に鳴いて、後から階段が追いかけて鳴くパターンに切り替わっていて、これがずっと続いて変わりようにありません。
このスズムシ軍団の実態として約半数のオスたちが少しバラバラながらも一度に鳴いているわけで・・・、ことのついで計測してみたところ、鳴いている時間が8秒から10秒前後、休んでいる時間が10秒から14秒前後と一定しません。また、1鳴きあたりの羽の振動度数を計ったのですが、3度から5度で、これも一定しませんでした。
虫の観察を切り上げて・・・、このままでは夜も眠れないことになりそうだと思いつつ寝室の扉を閉めると、どうにか気にならない程度にリーンリーンリーンと鳴いています。そして、驚いたことに夜通し鳴いていました。しかも、電灯を点けても消しても鳴くし、人の気配・足音に至ってはいっさいおかまいなし・・・、かえって人間が近づいたのが刺激となってそれまでの音をさらに張り上げて鳴いているかのようです。(※ネットで調べてみると、本鳴き・さそい鳴き・おどし鳴きがあるそうです。)
スズムシといえば、その昔、当地、武蔵野の雑木林にも生息していて、夏休みも終わりころにもなると、だれ彼ともなく「行こう!」ということになって、スズムシ捕りは子供心にも残り少ない夏休みの物憂さのやりどころ(解消先)でした。まず、仕掛けとしてやや細長くて太めの、たとえば果物の空き缶の、その底をくり抜いて筒状にしたものに少し大きめのビニール袋をあてたものを用意します。
武蔵野の雑木林は、かつては炊事・風呂焚き用の薪(まき)燃料として木材を、また畑にすき込むための腐葉土肥料として落葉を、それぞれ活用した貴重な資源林でした。それまでのススキ・ツル・イバラの生い茂る荒れ野を整理(開墾)してナラ・クヌギなどの良質な広葉樹を植えて、おおよそ10〜20年の間隔で伐採を繰り返すと、木株が次第に大きくなって、そこに洞(うろ)ができます。
その洞に、仕掛けをあてて、息を抜きかけると、ぞろぞろとスズムシが出てきます。それを右手でゆっくりと仕掛けの中に追い込んで行くのです。
そんな風物詩を残して下草刈りも落葉掃きも、薪製造のための伐採も行われなくなり林は荒れ放題・・・、人間と共存していたスズムシたちもとっくにいなくなって40年50年、今は昔、全く久しいのです。
先日、散歩に出かけた際、虫の音に聞き耳を立てて歩むに、ジージージー、コロコロコロとコオロギの、時にチリリリリとクサヒバリの鳴き音がしましたが、それ以外はなかなか聞きあたりません。
ところが、後日の夕刻、耳を澄ませば玄関先の林でチ、チ、チ、チとカネタタキ(鉦叩)の小さな鳴き音がして、そして歩む茶垣にまた1匹、さらに・・・と、見事に予想に反して多くいたものですから、期せずして初秋の野趣満点の散歩を楽しむことができました。
行く道は 七日なぬかの 鉦叩
ところで、我が家のスズムシたちは、今夕は中秋の名月・・・、外のコオロギに負けじと、網戸を挟んで鳴いています。
虫時雨 今宵テラスは あらんかぎり
(理事長 矢部 薫)