本を読むということ〜一読・二読・復読〜

夏の初めに、福祉業界の先輩でもある親友から50冊もの本をいただきました。せっかくの贈り物なので、全部読んでしまおうと決心して、現在、18冊目に入っています。
若い時と違って、文章を追うそばから忘れていくような気がして、これまでのような速読ではほとんど記憶に残りません。そこで、参考になる箇所に付箋を貼っていつでも引き出せるようにして読んでいます。
本のほとんどが90年代のいわゆるビジネス書で、私にとっておおよそご縁がなかった分類(ジャンル)のものです。それもバブル崩壊以降の著作なので、それまでの反省に立って、お客様を第一とし、社員を厚遇する論調で一貫しているように感じます。また、働く姿勢として、まるで福祉職員を対象としたかのように、真面目で素直、明るくて積極的(プラス思考)、そして勉強の必要性を説いています。もちろん、前述のお客様を利用者、社員を職員と読み換えるとそっくりそのままに当てはまります。
そして、古今東西の成功体験を引合いに法則化していますので、これをハウツー本として活用、徹底できたら、組織は未来永劫にわたって成功裡に存続すること間違いなしのようです。
現在は、これらの著作から20年ほど経っていますが、世のマーケティング状況を素人目に見渡して、ほとんど本のとおりになっていると実感するところ、恐るべし、“たかがビジネス書”にあらず、“されどビジネス書”なのです。さすが一流有識者のコンサルの所以(ゆえん)です。
読んだ中に、リーダーは「おせっかいでなくてはならない」(人材育成)という件(くだり)もありましたので、意を強くして、早速、管理職を対象に上記付箋から生まれた資料を基に講話したところです。
しかしながら、もちろん問題は、実践の難しさです。
ところで、読書そのものについて、私の経験するところですが、
まず一読した場合、自分に照らし合わせて読むことになります。
すると、良かったか悪かったか、読後の感想は人それぞれに語れるかと思います。
次に、二読・三読すると、著者の言わんとする世界が見えてきます。すると、必要時に引用できるようになると思います。
そして、復読した場合、自分に合ったものは身に付け、合わないものは切り捨て、あるいは適度に修正して、自らの言葉として表現することになると思います。
もちろん、私たちが、逐一、「教科書の何ページに書いてあったことですが・・・」などと断らずに歴史を語り、数式を使うように、あるいは経験も含めて、いったいに学ぶとは真似ることに始まって、ひいては自らの考えとして取込むところに人間の学習獲得のダイナミズムはあるように思います。
8月の終わりに、NHKテレビ番組『君が僕の息子について教えてくれたこと』を偶然見ました。早速、主人公の東田直樹氏の著作のうちから『自閉症の僕が跳びはねる理由』とその続編を書店に注文したのですが、この時点では在庫なしとのことでした。途方に暮れていたところ、ベテラン職員の一人が蔵書の2冊を持ってきてくれましたので、2読、3読しました。
自閉症の世界については、これまでにもいくつかの“定本”と言われるようなものがありますが、どうしても学識者の監修するところ、学術的な専門性が高くて、私たちのように日常的に彼らと接するすべ(支援技術)としてはあまり役に立たないような気がします。その点で、上記2冊は、当事者が書いたハウツー本として理解しやすく、是非とも参考にしたいと職員に周知しました。
私も含め、復読、くり返し読んで身に付けて、私たちの支援する利用者の行動の理解と、さらに人間性、そして人生理解につながれば有難いと思うのです。
親愛会では、今夏行われた全職員対象の研修会で、<今現在、障がい者の生きるを支援している諸事業の質の向上>と、<来春オープン予定の特別養護老人ホームの介護のあり方>を課題に、「“人間(存在)”とは何か?」、そして、終末期の「“看取り(みとり)”について」学習しました。職員一同、日ごろ必要と思っても改めて勉強する機会の少ない人生・死生観などに考えをめぐらすよい機会となりました。
冒頭の本の中に、こんな記述がありました。
「困難に立ち向かっていくとき、そのあり方を教えてくれるのは、過去の経験からくる知恵と、「本」などから得る知識であろう。困難から抜け出すには、本を多く読むことである」船井幸雄著『希望』)
(理事長 矢部 薫)