クラシック音楽の味わい方〜バッハとベートーヴェンと〜

―夏の日差しは、午後になったとはいえなお強く、ギラギラと八つ手の葉に降り注いでいて、その葉裏から地面に落ちた葉影までの空間に、・・・先ほどから背中は冷え冷えとしたまま、私は釘付けになったように見入っている―
まるで幼児体験のような、そんなリアルな幻影を想起させて、J・S・バッハの名曲『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』が流れます。
これは40年も前のこと、私と友だちのN君は、ある地方都市の繁華街にあったレコード店で買ったばかりの、当時亡くなってまもなくのハンガリー出身のヴァイオリン奏者J・シゲティのLPレコード(モノラル)を、通りを少し入って左手の木造喫茶店の2階に持ち込んで、早速、店内で流してもらった時のことです。
シゲティの演奏については、多くの評論家も共通して「ギシギシと弦を軋ませ、汚い音だって辞さない」と評するほどの個性的な演奏法で、当時確たる評価を得ていたH・シェリンググリュミオーの調べとは趣を異にして、知る人ぞ知る、熱狂的なシゲティファンは、巨匠ハイフェッツとともに活躍した時代から、その無骨さの中の精神性をこそこよなく愛したのでした。
そのシゲティの薫陶を受けた、日本人の数少ないヴァイオリン奏者の1人が前橋汀子さんです。
2月12日、この日行われた演奏会、前橋汀子ソロリサイタルでは、『ソナタ』『パルティータ』各3番と、N・パガニーニの『奇想曲』を挟んで、『パルティータ』2番へと進み、終曲の第5楽章は名曲シャコンヌでした。私は、特にシャコンヌに“シゲティの音”を捜し当てながら、前橋さん71歳の渾身の演奏を心ゆくまで楽しく聞き終えることができました。
話は少し変わって、ある時、川越親愛センターがまだ川越親愛学園と呼ばれていた頃のこと、午後の作業開始時間になっても出てこないKさんを居室に呼びに行くと、ラジオを点けたままうたた寝をしているような姿が目に入って・・・、彼を揺り動かそうと近づくと、彼は小さな声で、かつ少しむっとした口調で「音楽聞いている」と言うのでした。耳を傾けると、曲は、ベートーヴェンの『交響曲第7番』第2楽章で、ワーグナーに「不滅のアレグレット」と言わしめた美しいメロディーで、“巡礼のメロディーを引用した”というエピソードも加わって、私をはじめ、私の出会った人の中にも自らの<葬送の曲>としたいという人もあるくらいの曲です。私は、思わず、「このままでいいですよ。終わってからで・・・」とささやいて、その場を後にしたことがありました。
また、ある時、利用者のYさんが、施設のホール(共用部分)に自分のラジカセを持ち込んで、何やら大声で歌っているのです。足をとめて聞いてみると、どうやら音楽テープから流れるドイツ語の『第9番』“歓喜の歌”合唱パートを原語のまま歌っているのです。もちろん、私もかつて歌ったこともあるので、一緒に歌わせていただきました。なお、そのテープは、彼の母親が地元のコーラスグループに所属していて、その発表会の録音だとのことでした。
ところで、元厚生労働省障害福祉課長であった浅野司郎氏は、かねがね「スポーツと芸術は障がい者に立つ瀬を与えてくれる」と言って、障がい者が健常者と互角に参加できる場として、その2つの領域での活躍を推奨しています。
私たちの障がい者福祉の現場は、利用者の高齢重度化の中、業務内容が増える一方で、自立支援法以来の個別支援もなかなか思うように進まないのも現状です。かつての入所施設のようにのんびりした日課の流れの中で、さりげない日常のひととき、利用者の皆さんと時を共有し、時に音楽を共感するのも素敵だと思うのです。もちろん、たまには出かけて・・・。
(理事長 矢部 薫)