15歳と20歳の春〜人材の門出〜

毎年3月に入ると、お付き合いのある中学校や特別支援学校、そして専門学校等から卒業式のご招待をいただいて、都合のつくところ、事務局長と手分けして式に参列させていただいています。
3月13日、川越市立福原中学校の卒業証書授与式が行われました。
親愛会は、そのほとんどの事業を市内福原地区、いわば小中学校圏域内で展開しておりますので、なるべく私が出席して、福祉協力校としてお世話になっている先生方へのお礼と、同席される地区の自治会、民生委員関係等各方面の役員さんたちに日頃ご協力をいただいている感謝を述べさせていただいている次第です。
今年の卒業式は、例年に負けず、大変感動的な式でした。
父兄の熱い視線の中で、一人ひとり手渡される卒業証書の授与も半ばを過ぎる頃には、式そのものもしんみりとしてきました。やがて、“送る言葉”と“別れの言葉”の時には、最前列にいる男子生徒の、衆目にもめげず学生服の右袖で何度も涙をぬぐっている姿が、昔の卒業式をほうふつとさせてくれました。また、先ほどまで、時折、寝癖の後ろ髪を掻いていた、私の目の前の、質実剛健といった風の生徒も、ついには片手でぐいと涙をぬぐい、少し嗚咽(おえつ)してしまいました。そして、向こう側の列の女子生徒の一人は、その端正な顔立ちに似合わず、ハンカチで涙を拭き続けていつしか鼻の先を赤くしていました。
かくして、父兄のビデオ撮影以外は、いつの時代も変わらない卒業風景になぜかホッとしたものでした。
終了後、あの感動的な卒業生代表による“別れの言葉”「いつかみんなで会って、この中学時代のことを懐かしく語りたい」を思い起こし、私は「5年10年単位で悩まなくっちゃならないのはこれから・・・。懐かしいのはその後かも知れない」と思いました。と、同時に「進路に迷ったら、福祉の道をどうぞ」と彼らに話しかけたい気持ちにかられたのも事実でした。
3月16日、埼玉福祉専門学校の卒業式が行われました。
親愛会では、毎年おおぜいの卒業生に入職していただいておりますので、今年も会場の中に必ず内定者はいるはずなのです。
そんな期待感をもって両国の駅を降りると、駅前は袴姿の女子学生であふれ、それぞれにスマートフォンを操りながら友だちと連絡を取り合っています。
長蛇の列を進んで両国国技館に入ると、そこは滋慶学園グループ14校、5,000人が一堂に集う卒業式で、毎年ながら開式から閉式まで、その壮大な式典に圧倒されました。
特に印象的だったのは、浮舟邦彦総長の祝辞でした。
おおよそこんな風におっしゃっておられましたので、ご紹介します。
「皆さんは、本日をもって各学校の学生としての人間関係を終了します。そして、明日からは社会人としてそれぞれの職場の新たな人間関係の中に旅立って行かれます。人間、どこまで行っても人間関係です。どうか明日からの人間関係をしっかりやっていってください」
3月といえば、卒業式ばかりではなく、日本中の職場の送別会の季節でもあります。
親愛会では、現在建設中の特養ホーム「みどりのまち親愛」の7月オープンを前に、スタッフの人材確保に東奔西走の毎日です。そうした状況にあっても、残念ながらいろいろな都合により退職していく職員が出てきます。
例年のことですが、異動を含む退職の意思確認については、あらかじめ年末に“意向調査”を行います。これに基づいて、異動、あるいは退職の希望を出した職員を対象に、上司が個別に事情を聴いて、異動ならばなるべく希望がかなうよう、また、退職ならばなるべく仕事を継続できるよう時間をかけて話合います。
さすがに、人間関係が理由の退職は目立たなくなって、一生懸命のあまり疲れてしまいとりあえず職場を離れたいという人も多少増えているでしょうか。理由が多様化している一方、次の職場ということでは、全く違う職種への“転職種”も増え、また、同じ福祉のくくりの中で親愛会に無い他分野への“転職場”も目立つようになりました。
人材確保では、この1〜2年、売手市場。福祉業界でも採用困難の状況が続いています。私たちは、新人材の採用もさることながら、採用後の人材育成に力を注ぐとともに、日頃の人間関係に十分気を配って、楽しくやりがいをもって働ける職場作りこそ、せっかく育った大切な人材である現職員が辞めない職場・・・、このことが後にも先にも人材確保の第一義となるものと考えます。
前述の、社会福祉事業を進める上でチームワークを主とし、人間関係イコール組織そのものとも言える職場に就職していく卒業生への浮舟総長の祝辞は、滋慶グループの教育カリキュラム最後の日の、明日へのはなむけにふさわしい言葉だと思いました。
(理事長 矢部 薫)