人を愛するということ〜ガンディーの思想〜

私たちが誰かを愛するというときには、その誰かとの間に何かを共有していないと愛は生まれません。「ああ、自分と同じだ」「分かち合える」という思いが愛を生み出します。しかし一方で、すべて自分と同じ相手との間に愛が生まれるかというと、そうでもありません。ここが自分と違ってすごいとか、尊敬できるとか、そういう「差異」が他者との間にあるからこそ、愛は生まれるのではないでしょうか。中島岳志著『100分de名著「獄中からの手紙」ガンディー』(NHK出版)より抜粋〜
これは、
「アヒンサー(非暴力)は愛である」(ガンディー)
の章書きで中島氏自らの視点で書かれた文節です。
私なりに解釈しますと、まず「同一性」ということですが、他者がいくら「自分と同じ」あるいは「自分と似ている」と思っても、必ずしも自分と同じように「分かち合える」わけではありません。私たちは、自らを好むと好まざるにかかわらず丸抱えで引き受けているのですから、<好む点>ですら、自らは良しとしても他者では必ずしも良しというわけにはいきません。「同じでは困る」こともあるでしょうし、「同じでは気持ち悪い」となれば同一性自体に亀裂が生じることになります。また、<好まざる点>については、自らは許すとして、他者では許せないのであっては、自分に甘く他者に厳しい構造が露呈してしまうばかりです。とはいえ、人間関係の入口として、まず「同一性」共有の中に愛を生み出すことになるかと思います。
もう一つの「差異性」ですが、私たちは、他者を「ここが自分と違ってすごい」「尊敬できる」と思っても、「羨望」「嫉妬心」の介在によっては、「差異性」の中に愛を生じさせないことにもなりかねません。さらに、「差異性」にどうしても許せない、否定されるべき「差異」が認められたとき、私たちはそれを排除しようとするかもしれません。ですから、「尊敬」すればこそ「差異」に愛が生まれるのであって、「差異」が必ずしも愛を生み出すことにはならないし、むしろ差別や偏見を生み出す結果につながりかねないのです。
その「差別」や「偏見」から差異を差異して認めようとしないで、「排除」しようとするあらゆる行為が「暴力」の構造だと思います。
ここで注目するのが、ガンディーが提唱した「非暴力」ということです。
少し同文を引用して、やや難解なガンディーの考えを私なりにまとめてみたいと思います。
まずガンディーは、「人間は霊魂=アートマンを入れる器に過ぎない。それ自身が大きな力を持っているのは神だけであって、その器に過ぎない私たち人間は常に受動的である。それを逸脱して、「私が」何かをやって世界を変えていくことができるという考え方は、神と相反する、非常に暴力的なものだ。」とします。そして、「そうではなく、「私」は常に受け身で、そこにいろんなものが影響してきて、それによって私は一歩ずつ前に進んでいく。そういう「受け身」こそが真に積極的な姿勢であり、「・・・すべきだ」という主張は、「自分が絶対に正しい」という意識の上に立って他者をコントロールしようとするものであり、きわめて暴力的だ。」むしろ、「「自分であることの欲望」こそが人間にとって最大の欲望だ。器としてどんどん移り変わっていくのが人間であるはずなのに、「私はこうだ」と自己規定して、殻の中に閉じこもろうとする。それが人間の大きな欲望であり、また苦しみである。」と考えたというのです。
さらに進めて、差異を排除しようとする「暴力」、逆に差異を耐え忍ぶ「服従」も、そして「人間の最大の欲望というのは「私が私であることへの欲望」なのだ」、すなわち「食べる」こと自体をも暴力に本質的につながるものだとして、自らの欲望までも「否定」してゆきます。
そうした「受け身」と「否定」の論理構造の中で、ガンディーは数々の政治的抗議活動として「断食」を行い、有名な「塩の行進」を代表とする「非協力・不服従」運動を通じ、インド独立運動の指導者そのままで生涯を終えた(1948年暗殺、78歳)のでした。
皮肉なことに、死の前年、ヒンドゥー教徒イスラーム教徒の和解に人生をかけたガンディーの思いはかなわず、ついにインド・パキスタンは分離独立してしまいます。が、その後の世界の幾多の戦争をみたとき、私たちは軍隊という「暴力」が「暴力」生む構造の中で、あえて人間の存在論にまで及ぶ「非暴力」を全面に掲げて平和を訴えた偉人がいたことを忘れてはならない。大変難しいことではありますが、この「非暴力(アヒンサー)」の概念を今に生かすことこそが、人類の危機的困難を乗り切る一つの知恵であるように思います。
また、ガンディーは
「大海の一滴の水は、自ら意識することはありませんが、母体の広大さに参与しているのです。ところが一滴の水が、大海を離れて存在を主張しはじめると、たちまちにして蒸発してしまいます」
と言っています。
私は、こうして改めてガンディーの思想に触れるとき、その深さに圧倒され、個人としても「ダルマを果たせ、トポスに生きよ。(それぞれの人が意味づけられている場所で、自分の役割、義務を果たして生きよの意)が、心に重く響くのでした。
(理事長 矢部 薫)