お付き合い〜入間川サイクリングロード墓参行〜

愛用の自転車の、経年劣化のタイヤを新調したこともあって、数年ぶりにサイクリング(彼岸花と墓参)に出かけました。
まずは足慣らしに・・・と出かけた先は、自宅から入間川サイクリングロードの八瀬の大橋へ、そして大橋からの上流コース(26キロ)でした。一昨年前までの10年間、川越水上公園から上流の往復21キロコースをハーフ、フルマラソンの練習コースとしてきたので、私にとって馴染み深いところです。
土手沿いに、春は桜、秋は彼岸花がいっせいに咲き乱れるコースを通って、徐々に川幅も狭くなっていって、民家の庭先を通るような桜並木の先がコースの終点、入間市豊水橋の折り返しです。
今回は、まだ彼岸花のつぼみも多くて、咲きそろうには1週間はかかるでしょうか。その代わりに、安比奈公園のコスモスが満開でしばし見とれるほどでした。読みかけの仏教書のせいでしょうか、私には、
大花野 計らいなくば 見よ、見よ
吹きわたる秋風に、こんな声も聞こえた気がしました。
次は本番。出かけた先は、上記の下流コース(40キロ)。1週間前に来た八瀬の大橋から、今度は、あちこちに満開の彼岸花咲く入間川左岸を下流に進んで、初雁橋をわたって右岸へ。次に、一路、川越・雁見・平塚・落合・釘無橋から入間大橋へ。大橋からは、橋をわたって左折して、入間川左岸(一般道)をしばらく北上して川島町出丸からふたたび入間川の堤防へ。車も抜けられる冠水橋をわたって芳野台東清掃センター裏のサイクリングロードへ。そして、入間川右岸をのぼって、落合橋へ。
落合橋まで来たところで、まずは数年前に亡くなられた中学時代の恩師の墓参です。お宅を訪ね、同じく恩師である奥様に裏手の墓所にご案内いただき、ご焼香させていただきました。帰りがけにお茶をご馳走になり、しばし楽しい、そして懐かしいお話を伺いました。
師の眠る 右岸のふところ 曼珠沙華
この日、少し高めの気温(残暑)に疲れた体もリフレッシュできました。
次に落合橋を半分ほどわたって、入間川左岸から小畦川右岸に出て川をのぼり、平塚新田の冠水橋をわたって、2つめの目的地、霊園墓地に到着です。
少しうろ覚えのところを、案内人に「ご案内します。よく存じております。今でも毎週のようにご両親様がいらっしゃるんですよ」といざなわれて、私の仕事でご縁をいただいた故人(元ご利用者様)のご焼香をさせていただきました。
ところで、川越親愛学園(現、川越親愛センター)開設後38年が経ちました。定員40名のうち、開設時に入所された人たちのうち大方の皆様方は、今現在、ある人は南の里、ある人はGHに居を移してはいても、当初より最高齢を誇っていた現在80才代のOさんを筆頭に、60才代70才代の皆様方も各自の体調にそって、今なおお元気で過ごされています。
しかしながら、お元気といっても寄る年波・・・、これまでに数える故人は5〜6名様でしたが、今秋、3名様が相次いでお亡くなりになり、私にとって悲しみもひとしおでした。後年、法人内の障がい施設等に入所された人を合わせると、故人は20数名様にも上ります。
かつて『共に生きる』を理念とした時代に入職した私にとっては、『親亡き後』も法人の大きな理念で、障がい者の高齢化の次のステージとして、特養ホームを開設した経緯があります。が、現在、自己負担をめぐる制度上の問題もあって、障がい施設から高齢施設へとスムーズなご利用はあまり進んでいないのも実情です。もちろん、住み馴れた障がい者支援施設やGHを引続きご利用になられるのも、思い切って特養ホームへ移られるのもご本人様とご家族のご意向によるものと思います。
ちなみに、これまでに亡くなられた多数の皆様の障がいもまちまちなように、享年もまちまち・・・、時に早世の感にやり切れぬ思いもありました。ですが、私も故人の皆様方と同じように年齢を重ねて、今思うのは、それぞれの人生を、その人なりに豊かに過ごされたことを信じ、時折こうしてご縁に感謝し手を合わすことでした。
お地蔵の 被り斜めに 実る秋
私の墓参のサイクリングは、この後、3か所続いて・・・、このうち仕事でご縁をいただいた故人(元ご利用者様)の墓参をもう1つ済ませて、そして、ほどよい疲れと穏やかな気持ちとともに、無事帰宅となりました。
(理事長 矢部 薫)