髙沢さんの胸像がやってきた!〜髙沢初代理事長胸像記〜

かつて、髙沢家の応接室のマントルピース上に置かれてあったか・・・、私の記憶は定かではありません。
今から25年も前のこと、ある日、いつものように車でお迎えに上がると、奥から
「中に入って、少し待ってくれんか」と、髙沢理事長の声がありました。
理事長は、この日は県・市の手をつなぐ親の会の関係で急ぎ処理しなければならない電話やら書類やらが残っていて、少しの間、部屋を行ったり来たり・・・。やがて、椅子に座り煙草に火を点けて大きく吸い込むと、鼻から長い煙が流れて、
「どうかね」と、顎で胸像を示し、にんまりと微笑まれました。
私は立ち上がって、少し暗がりの中の、鈍く青銅色に光る像の眼鏡の奥を覗きこんで、
「いいじゃないですか。そっくりですよ」などと、返答したような覚えがあります。
そして、ご本人は、
「そうかね。少し若過ぎるような気がするんだが・・・」と、まんざらでもないといった謙遜の物言い―、これだけは今でも私の記憶にはっきりと残っています。
やがて、親愛会初代理事長であった髙沢幸治氏が亡くなられて、まもなく家が和風から洋風に建替えられて、ご子息の勇氏が、確か・・・、真新しい玄関に胸像を長らく置かれていたと思われます。
月日は以上のような曖昧さだけを残し、加えて、元理事でもあった勇氏のご逝去とともに、私の記憶も、記憶装置の老朽化に拍車がかかり薄れていったのでした。
今年の春先のこと、保護者会の件で何度か打合せに来ていただいていた保護者の佐々木眞紀さん(新保護者会長)が、ある時
「あっ、そうそう、髙沢さん家はまもなく引っ越してしまわれるのよ。先生たちはご存知ないかしら、髙沢さんの胸像があったらしいのよ。その胸像をこの際だから親愛会に引き取ってもらいたいって、勇さんの奥様がおっしゃってらした」と、話されていかれたことがありました。
5月連休が終わって、『特養ホームみどりのまち親愛竣工式』ご案内のため(住所確認)、私が髙沢家に電話をしたところ、
「(おじいちゃんの)胸像だけど、親愛に行ってないかしら。探したけど見つからないのよ」と、奥様は残念がっておられました。
6月29日、竣工式の次の日のこと、特養ホーム見学がてら、佐々木さんはご自身の母上様と一緒に車で来園されて、
「いったんは行方不明だった胸像がお雛様の箱の後ろに置いてあったって、奥様からお電話いただいて、ご自宅に取りに行ったのよ」と、後部座席を開けて、出迎えた新井事務局長と私に示されました。
早速、玄関の受付カウンターの上に仮置きしたところ、佐々木さんの母上様は、親の会活動で髙沢さんと行動を共にした思い出も多くて、
「よく似てらっしゃる・・・」と、しばし見入っておられました。私も、
「確かにこれです」などと、懐かしく拝見させていただきました。
急ぎ程よい高さの箱台を取り寄せて、7月6日、晴れて、7月からの親愛会本部の移転にともない、新築のみどりのまち親愛に展示することができました。場所は、奥まったところに置いて何時しか忘れ去られることのないように、少し失礼かとは思いつつも、誰もが前を通り、誰もの目にとまる玄関の風除室に据えさせていただきました。
ちなみに、今般、特養ホームの竣工・開設をもって、髙沢理事長の提唱しておられた≪福祉の里構想≫の一つの到達点とし、『福祉の里の碑』ご芳名欄の余白に新たに22名様を顕彰(刻名)して、一応の完成とさせていただきました。期せずしてこの機に、ご当人の胸像が本法人に寄贈されたことは、殊のほか大きなご縁であるように考えるのは、私ばかりではないように思います。
しかしながら、今となっては、直接髙沢さんとお会いしたことのあるという人もめっきり少なくなってしまいました。だからこそ、髙沢さんを親愛会初代理事長として末永く顕彰すること、これは私の大切な仕事の一つであると思い知らされたことでした。
人生は出逢う人みなありがたい隣人なり 一人でも多き隣人と共に生きたい〜髙沢幸治『柑子(つぶやき・句集)』より〜
(註)本胸像には、『初代理事長 髙沢幸治/贈 社会福祉法人藤の実会/平成2年5月』とあります。同じく初代理事長であった藤の実会より、同法人理事長退任の際に、髙沢家に寄贈されたものです。
(理事長 矢部 薫)