”変わる未来 変わらない思い”~創立40周年記念式典~

6月2日に、会場を市内にお借りして、大勢の御来賓をお迎えし、40周年記念式典を挙行することができました。ご多忙の中、また遠路はるばるお越しいただいた皆様方、お一人ずつに、これまでのお礼と引続きのご指導をお願いしました。

なお、親愛学園開設当初を知る皆様には「早かったね」「過ぎれば、あっという間」などのご感想と、他法人施設関係者からは「ヒトモノカネすべてが今もこれからも大きな課題」「法人間で協力し合って乗り越えなければならない」などのご意見をたくさんいただきました。

以下、主催者挨拶を紹介します。

「本日ここに、社会福祉法人親愛会40周年記念式典を挙行するにあたり、ひとこと、ご挨拶申し上げます。

本日は (中略) 、ご臨席の皆様方には、お忙しい中、ご臨席をたまわりまして誠に有難うございます。

さて、本法人は今から40年前の昭和54年2月20日に、法人認可を受け、同年5月1日に川越市当局はじめ国県市におよぶ当時の政、財界の先達の名を連ねるところ、市内最初の知的障がい者入所更生施設「川越親愛学園」、現在の障害者支援施設「川越親愛センター」を、福原地区のご理解をいただき、開設させて、スタートとしました。

現在までの40年のあいだには、バブル経済の破綻、金融危機等の国内外の変化をはじめ、介護保険制度及び障害者総合支援法の施行、そして一昨年春からの社会福祉法の抜本的な改正等々の、多くの困難を乗り越えて、これまでにいささかの事業の展開が実現できました。

このことは、本日ご臨席の法務省・埼玉県および川越市当局はじめ、県市の社会福祉協議会、手をつなぐ育成会、そして私たちのお仲間でもあります県経営協、老施協、発障協、および市老施協・施設連協、福原ネットなどの関係諸団体所属の施設・事業所のご協力、そして、親愛会発足以来、常日頃より、ご支援いただいている地元自治会、民生委員児童委員協議会の皆様および後援会、ボランティア、保護者会等の皆様方の物心にわたる、ご協力のたまもの、さらに本日、懐かしくご臨席いただいている元施設長はじめ元役・職員の皆様方のご指導のおかげと、深く感謝申し上げます。

本日、40周年記念式典に際し、この間の長きにわたるご理解とご支援に感謝申し上げますとともに、本法人が来たる時代の新たな高齢者・障がい者福祉のありよう、そして医療業界・産業界との連携、さらに地域福祉を基盤とした枠組みの再構築等々に、とどこおりなく対応できるよう、旧倍のご指導、ご鞭撻をたまわりますよう、切にお願い申し上げる次第です。 (中略) 本日は、真に有難うございます。」

(理事長 矢部 薫)

令和の始まり

本日、元号が「令和」に改元されました。

親愛会では、5月1日は川越親愛センターの開園記念日です。当初の旧川越親愛学園開設からちょうど40年を経過したことになります。

ちなみに法人認可は2月20日で、設立代表者として髙沢幸治氏の名前が記された『(法人)設立認可書』が時の厚生大臣の名前で発効されています。法人名は「川越親愛会」で、同日の施行日となる定款によると「この法人の成立後遅滞なく、役員の選任を行う」と附則にあります。が、設立当初の役員として、髙沢(理事長)以下9名の理事、2名の監事があらかじめ名前を連ね、同日のうちに就任されているのが分かります。役員名は省略しますが、そうそうたる顔ぶれに、市内初めての知的障がい者入所更生施設の設置、運営を目的とした法人への大きな期待がしのばれまるところです。

そして、3年後には法人名を親愛会と改称し、現在にいたっています。

現在、親愛会では、6月2日に挙行する予定の40周年記念式典に向けて、係ごとに準備を進めています。折から5月の理事会、そして6月の定時評議員会開催を前に、各職員とも本来の業務とあいまって、日を追うごとに忙しくなることと思います。

(理事長 矢部 薫)

平成31年度辞令交付式

午前9時より、5名の新任職員を迎えて、みどりのまち親愛内の髙沢ホールにて、「平成31年度辞令交付式」を行いました。

私のあいさつでは、先月21日に引退会見したシアトルマリナーズイチロー外野手の“子供たちへのメッセージ”から、その一部を抜粋して、「熱中できるものを見つければ、それに向かってエネルギーを注げる。自分に向くか向かないかよりも、自分が好きなものを見つけてほしい」を引用し、訓示としました。

また、恒例の一文字漢字、平成31年度キーワード『和』を発表しました。

親愛会は5月1日に、創立40周年を迎えます。

(理事長 矢部 薫)

身軽で快適な生活と人生を~我が家の断捨離~

最初に「断捨離」という言葉を目にしたのは、昨年のこと、所属する俳句会で清記用紙に書かれたこの<ダンシャリ>としか読みようのない文字に出合ったときのことで、私は仏教用語(行事)を想像してみたものでした。

調べると、語源は、山下英子氏の登録商標で、ヨーガの行法の応用だというのですから、私の想像も遠からずといったところでしょうか。2010年の流行語にもなり、最近では、テレビ・新聞・雑誌等でも『かしこいダンシャリの方法』などと特集するものですから、お馴染みの方も多いことと思います。

寄る年波でしょうか。俳句会結社10年を数え、もっとも多い10名弱の会員を数えるようになりましたが、いつの間にか全員が前期または後期高齢者に突入し、“終活”めいた俳句もめっきり多くなりました。

生来、人生だの哲学だの宗教だのと雑学を集めてきた私も例外ではありません。

事の最期を「同級生全員の墓参をしてから!」などと仲間内で豪語してきたものですが、昨年からいくつかの病に顔を撫でられたくらいで、すぐに発言を撤回・・・。代わりに「人間本来無一物、なにもかもゼロにしてから終わりに臨みたい」などと言うと、これはこれで断捨離ほどの具体性を持たない分だけ弱気に聞こえるようです。

断捨離の対象となる自分の持ち物では、まずは衣類でしょうか。

衣類に関しては、若いころは安物のTシャツ・ポロシャツ・トレーナーにおさえ、支給されるジャージで通してきたので、いわば収入に見合うところ・・・。後年は研修で行かせてもらった北欧のシンプルライフを見習って、もっぱらブレザーとスラックスで済ませ、締め始めたネクタイもクールビズの流れにかこつけて、必要以上の品数をふやすこともなく過ごしてきました。また、礼服・スーツにいたっては、1着ずつ更新してきましたので不用の物は見当たりません。残りは私服のジャンパー・ジーンズの類いですが、ささやかな思い出を断ち切って「これはもう着ないよ」の一言でけじめをつければ、わずかな量の片づけにさしたる時間もかからないはずです。

問題は、本・CDのたぐいです。今でもそうですが、「読みかけの本と、まだ聞き飽きていないCDがあれば、人生は捨てたものじゃない」を標榜してきた身には、愛読書といえば眠り続ける本棚の本も、机に出したままの本もみな愛読書!少し前までの私でしたら、本だけは別!と命乞いしたことでしょう。

ところが、今回は必要にせまられて、今までのように家の中を右から左へ移動させるだけの“片づけ”では済まなくなりました。これを機にいきおい「物への執着から離れ、身軽で快適な生活と人生を手に入れて」、禅宗でいう“本来無一物”を目指してスッキリ生きたい。いわば生まれて初めて、正真正銘の“断捨離”とあいなった次第です。

かつて、学生時代より続けてきた年間100冊(目標)の“本の虫”も姿を変えて、この10年は手っ取り早い新書や入門書に頼ることが多くなりました。

この日、いくばくかのCDレコードはさておき、「すぐに片づくから」と思いつつも念のため朝から始めた片づけ作業は、実際に本棚から床に並べるとなると5~6段分がいっせいに広がるわけで、たちまちのうちに所狭し・・・。終了予定時刻を過ぎ、午後の日差しも傾く頃には、狭い庭に積み上げられた本の山をどうにか一山ずつ紐で結わえ終えることができました。

ちなみに、提唱者の山下氏は、「断捨離は自分と物との関係だけではなく、仕事と人間関係にも及ぶ」としています。

少しは空間が広がったように感じられる部屋を眺めながら、全面的にすっきりとまではいきませんが、こんな気持ちで新年度を迎えたいと思いました。

(理事長 矢部 薫)

AIの予測する未来~持続可能な社会と福祉~

今年1月1日の朝日新聞一面の記事は、連載記事<エイジングニッポン>③で、少子高齢化・人口減少の極端に進んだ30年後を想定した「2050年AIの予測シナリオは」と題して、京都大学の平井良典教授らが日立製作所の人口知能(AI)を用いて予測した“シナリオ(将来像)”を紹介していました。それによると、私たちが住む、この日本が将来にわたっても持続可能であるためには国の施策とともに「個人の生き方が未来を左右する」というのです。

つまり、2万通りもの予測データから大別した中で、「都市集中型シナリオ」は2050年時点で持続困難で、「地方分散型シナリオ」、すなわち地方を生かしつつ、財政も保つバランスのよい未来こそが持続可能だとしています。そのためには、遅くとも今から7~9年後までには、「地方で生きる若者を増やし、都市と地方が活力を与えあう未来がつくれるか」にかかっているというのです。

ご承知のとおり、国は、第二次安倍政権の政策として2014年9月に「地方創生」を打ち出し、関連法案を成立させたが、その目的である東京への一極集中解消、人口減少の歯止めには、依然としてブレーキがかからない状態が続いています。

そんな現状を打破して、「地方への流れを強化するには人々の価値観や生き方を変える必要がある」(国立社会保障・人口問題研究所 小池司朗人口構造研究部長)との話を引用し、たとえて、脱「終身雇用の昭和型人生」を目指す若者たちを紹介していました。

現在、国は、昨年成立させた「働き方改革関連法」により、少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少等の課題解決のため、「多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てる」よう、今春の施行を機に数々の取組みを推進しようとしています。

この記事(シナリオ)のいうところ、私たちは、来年のオリンピックを終えて、遅くともその先10年後までには、個々の生き方もさることながら、その基盤となるライフラインの維持継続と産業労働の枠組み、医療福祉の連携、教育の保障等々が一定の水準を満たした「地方分散型」社会へと大きく舵をきることができるのでしょうか。

そんな課題を多く残す記事でした。

翌々日の3日の一面記事は、連載記事<エイジングニッポン>④で、人口減少社会での労働力確保(代替)のためのAI搭載型のロボット開発(導入)に伴う社会を予測した「進化するAI/人との共生は」と題したシナリオでした。

私たちの介護福祉の現場でも、人の動きを識別し、指示通りに動くAI搭載ロボが、物を運び、食事を手伝う。そんな世界を5~10年先に実現しなければ「人手不足の現場は破たんする」とAIベンチャー、PFNの西川徹社長の話を紹介しています。

加えて、産業用ロボット世界最大手、稲葉善治ファナック会長は、「AIがあれば、ロボットは人間に近い作業が可能になる」と直感し開発に歩を進めたこと。そして、野村総合研究所他の共同研究による報告書「AIやロボットによって職は奪われるのか」の一部を紹介していました。

その報告書によると、2030年ごろには日本の労働人口の49%が、AIやロボットの導入によって自動化される。私たちの福祉現場の職種では、仕事の内容がほぼ決まっている経理事務員、(学校事務員)、給食調理員は極めて高い確率(99%代)でAIやロボットに代替されやすい(職を奪われる)。反面、コミュニケーションや状況に応じる力が求められる医療や保育、介護の現場スタッフは代替されにくい(0%代の代替される確率、つまり職を奪われない)というのです。

そして、野村総研上級コンサルタントの上田恵陶奈さんの「(大切なのは)人とAIとの適切な役割分担。そうすれば、経験のない人でもAIやロボットの助けを借りて介護の業務などにつけるようになる」との話を紹介し、記事を結んでいました。

私たちは、今後の日本の、少子人口減少社会の絶対的な労働力不足にあって、福祉事業を継続するためには、本記事を冷静に読み返してみるにつけ、できるところからAI、ロボットを使った業務の省力化を進めていかなければならないのだと強く思いました。

(理事長 矢部 薫)

現場実践者としての覚悟を問う〜施設関係者の本気度〜

去年今年(こぞことし)、昨年6月に成立した「働き方改革関連法改正案」が、今年4月1日に施行となります。本改正は、雇用対策法労働基準法など関連8法に及ぶ改正で、施行日は大企業、中小企業及び職種によって違うため、私たち親愛会の規模ではあらかじめ先送りとなる改正もあります。もちろん、「一定日数の年次有給休暇の確実な取得(年次有給休暇の時期指定義務)」をはじめ、副業・複業など多様な働き方等、今春以降の就業規則改正に盛り込まなければならない事項もあります。
他方、外国人労働者の雇用拡大に向けた「外国人材受け入れ拡大法案(改正出入国管理法案)」が昨年12月に成立しました。
本法案については、いわゆる技能実習生をめぐって、野党側から多くの問題が指摘されるなど4月の施行に向けて解決しなければならない課題も残されています。しかしながら、産業各界での人材不足は極めて深刻で、「産業界の強いニーズに後押しされての本法案の拙速可決」色の濃いものとなりました。このことは福祉業界でも例外ではなく、実際に、お付き合いのある高齢者施設関係者の電話口からは、(開口一番)「だれか人、いない?!」との悲鳴が聞こえてきます。
法案は成立したものの、日本が受入れに手をこまねいている間に、すでに東南アジア諸国では、諸外国による人材の奪い合いが始まっていて、たとえばドイツによる介護人材の受入れが進んだ結果、日本は特に給与面で劣勢に立たされている。また、隣県の知事を先頭にした介護人材確保のための、ベトナム入りの模様がテレビで報道されていました。
人の問題は、人口減少社会にあっては、どのような施策のもとでも“焼石に水”でさえあります。しかしながら、人材のダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包摂)の考え方にそって、年齢・性別・文化・国籍などを認め合うことにより、たとえば「障がい者の雇用枠拡大」は元より、何らかの理由で「生きづらさをかかえた人たち」、「生活困窮者」、「罪をつぐなった人(刑余者)」など、それぞれの就労支援と受入れ拡大に努力しなければならないことでもあります。
これらのことと併せて、可能なかぎりIT化による業務の効率化、ロボット化による業務の省力化も進めていかなければならない大きな課題です。
私たち、親愛会は、今年5月1日で創立40周年を迎えます。折から、平成27年7月のオープンの特養ホーム「みどりのまち親愛」整備を皮切りに、今年度の川越親愛センター、親愛南の里の浴室等改修工事を終えて、比較的予算規模の大きい入居型施設について計画してきた整備・改修事業をひとまず終了することになります。
今後の中長期の計画は、ワークスしんあい、グループホームしんあいの改修・整備計画を含め、法人全体の建物設備について、10年先までの修繕を見すえた財務計画を根拠にしたものとなります。
ところで、昨秋のこと、私が評議員をお受けしている法人の資料として、「全国施設長研修会」の開催要綱を手にしたことがありました。その中の最終日の『シンポジウム』の表題に“現場実践者としての覚悟を問う”と副題が付けられてあって、印象に残りました。
私たちの経営は、一昨年の改正社会福祉法により、“自主的な経営基盤の強化”、すなわちヒトモノカネについてどう目標に適った手だてが構築できるかが求められることになりました。
私たちは、上述の数々の課題にひるむことなく、一つひとつ解決し、乗り越えていかなければなりません。そのためには、今こそ、執行役員をはじめ、私たち職員一人ひとりの「現場実践者としての覚悟(本気度)」が求められているのだと思います。
(理事長 矢部 薫)

年末行事?〜「第九」演奏会にまつわる話〜

先日、ある会議の開始前に委員同士のあいさつを交わしていると、Y委員から
「矢部さん、今日の明日の話で申し訳ないけど、このコンサートのチケットもらってもらえる。都合が悪くなって行けなくなってね」との話がありました。
手渡されたパンフレットと入場券には『さいたま市名曲コンサート 日本フィル「第九」演奏会2018』とありました。
いわゆる「第九」ベートーヴェン作曲の交響曲第9番は、詩人シラーの頌歌「歓喜に寄す」の合唱付きであまりにも有名です。初演は、すでに耳の聞こえなくなっていた作曲家が、補助指揮者を立てて指揮し、終演後の聴衆の大きな拍手にも気づけず、アルトの独唱者に促されて、会場に向き直って礼をしたとの逸話が残されています。
私は、“最初の第九”で往年の巨匠フルトヴェングラー指揮、通称『ベルリンの第九』(モノラル、復刻版)のレコードを聞いて、第二次世界大戦中の戦況厳しき中、1942年3月22日に行われた演奏会の鬼気迫る演奏に親しんでいたのですから、本来の『第九』からすれば例外中の例外、いきなりマニアックな聞き方をしていたわけです。
ところで、この曲は、わが国では年末に聴くクラシック曲として有名で、今でも全国あちこちの市単位のアマチュア合唱団による演奏会が開かれることで知られています。
私は、今から40年以上も前のこと、その市民合唱団に参加し、ステージに立ったことがありました。金沢市観光会館で恒例となっていた演奏会で、当時、京都市響の常任指揮者であった故山田一雄氏による指揮で、氏は60歳を過ぎたばかりの、いわゆる“あぶらの乗り切った”ところでしょうか。本番前日の通しの練習で、委細構わず声を荒げたり、ダメ出しのストップを命じたりして、芸術家の音へのこだわりを存分に知らされたことでした。もちろん、本番では緊迫感みなぎる素晴らしい演奏会になったことを今でも覚えています。
さて、12月14日、当日、テノール錦織健を配した井上道義指揮の演奏は、錦織他のすぐれた独唱力と、近年、一時体調を崩したというものの、復帰後さらにスケールの大きな指揮を十分堪能させるものでした。私は、第3楽章の寄せては返す波のようなアダージョに、かつて舞台上で緊張と心地良さから眠気に襲われたことを思い出し、合唱終盤のまちがえ個所を確認し、この夜、ふたたび“日本人の年末の恒例行事”を味わったのでした。
ちなみに、指揮者の井上氏といえば、15年以上も前の話、ある会場で行われたブルックナー交響曲第7番』終了後のことです。鳴りはじめた聴衆の拍手を、自ら両手でさえぎって、「みなさん!だめだ、こんな演奏に拍手をしては!」「ごめんなさい」と一礼して、舞台袖へ走るようにして降りてしまったことがありました。私は、この日、私流の表現で申し訳ありませんが、7番ならではの「その昔、大河内伝次郎や坂東妻三郎主演のチャンバラ活劇の映画音楽を思わせる“めくるめくようなテンポ”」がないまま終えた演奏に、少し物足りなさを感じていたのも偽らざるところ・・・。井上氏が自身、どこがどう納得がいかなかったのかは分かりませんが、ブルックナー音楽への新たな解釈と挑戦に、指揮者の音楽にかけた妥協を許さない姿勢に深く敬意を表したい気持ちになったことがありました。
(理事長 矢部 薫)