身軽で快適な生活と人生を~我が家の断捨離~

最初に「断捨離」という言葉を目にしたのは、昨年のこと、所属する俳句会で清記用紙に書かれたこの<ダンシャリ>としか読みようのない文字に出合ったときのことで、私は仏教用語(行事)を想像してみたものでした。

調べると、語源は、山下英子氏の登録商標で、ヨーガの行法の応用だというのですから、私の想像も遠からずといったところでしょうか。2010年の流行語にもなり、最近では、テレビ・新聞・雑誌等でも『かしこいダンシャリの方法』などと特集するものですから、お馴染みの方も多いことと思います。

寄る年波でしょうか。俳句会結社10年を数え、もっとも多い10名弱の会員を数えるようになりましたが、いつの間にか全員が前期または後期高齢者に突入し、“終活”めいた俳句もめっきり多くなりました。

生来、人生だの哲学だの宗教だのと雑学を集めてきた私も例外ではありません。

事の最期を「同級生全員の墓参をしてから!」などと仲間内で豪語してきたものですが、昨年からいくつかの病に顔を撫でられたくらいで、すぐに発言を撤回・・・。代わりに「人間本来無一物、なにもかもゼロにしてから終わりに臨みたい」などと言うと、これはこれで断捨離ほどの具体性を持たない分だけ弱気に聞こえるようです。

断捨離の対象となる自分の持ち物では、まずは衣類でしょうか。

衣類に関しては、若いころは安物のTシャツ・ポロシャツ・トレーナーにおさえ、支給されるジャージで通してきたので、いわば収入に見合うところ・・・。後年は研修で行かせてもらった北欧のシンプルライフを見習って、もっぱらブレザーとスラックスで済ませ、締め始めたネクタイもクールビズの流れにかこつけて、必要以上の品数をふやすこともなく過ごしてきました。また、礼服・スーツにいたっては、1着ずつ更新してきましたので不用の物は見当たりません。残りは私服のジャンパー・ジーンズの類いですが、ささやかな思い出を断ち切って「これはもう着ないよ」の一言でけじめをつければ、わずかな量の片づけにさしたる時間もかからないはずです。

問題は、本・CDのたぐいです。今でもそうですが、「読みかけの本と、まだ聞き飽きていないCDがあれば、人生は捨てたものじゃない」を標榜してきた身には、愛読書といえば眠り続ける本棚の本も、机に出したままの本もみな愛読書!少し前までの私でしたら、本だけは別!と命乞いしたことでしょう。

ところが、今回は必要にせまられて、今までのように家の中を右から左へ移動させるだけの“片づけ”では済まなくなりました。これを機にいきおい「物への執着から離れ、身軽で快適な生活と人生を手に入れて」、禅宗でいう“本来無一物”を目指してスッキリ生きたい。いわば生まれて初めて、正真正銘の“断捨離”とあいなった次第です。

かつて、学生時代より続けてきた年間100冊(目標)の“本の虫”も姿を変えて、この10年は手っ取り早い新書や入門書に頼ることが多くなりました。

この日、いくばくかのCDレコードはさておき、「すぐに片づくから」と思いつつも念のため朝から始めた片づけ作業は、実際に本棚から床に並べるとなると5~6段分がいっせいに広がるわけで、たちまちのうちに所狭し・・・。終了予定時刻を過ぎ、午後の日差しも傾く頃には、狭い庭に積み上げられた本の山をどうにか一山ずつ紐で結わえ終えることができました。

ちなみに、提唱者の山下氏は、「断捨離は自分と物との関係だけではなく、仕事と人間関係にも及ぶ」としています。

少しは空間が広がったように感じられる部屋を眺めながら、全面的にすっきりとまではいきませんが、こんな気持ちで新年度を迎えたいと思いました。

(理事長 矢部 薫)