スポーツを楽しむ〜体育の呪縛からの脱出〜

寄る年波のせいでしょうか、夜9時を過ぎる頃には、かなり眠い。10時よりも前に寝ると、翌朝4時前後には目が覚めてしまいます。いつもは布団の中でごろごろしながら俳句作りをしていますが、なかなか句に仕立てられない時は、思い切って起きてしまうことにしています。
居間で天気予報やニュースなどのテレビをぼんやり見ているうちに、時に『視点・論点』(NHK)という番組で完全に目覚めることになります。
先月21日に放映された<体育からスポーツへの変化を>と題したスポーツ評論家 玉木正之氏の時事論説を紹介します。
「明治初期に他の欧米の文明・文化同様に外来語の“スポーツ”をどう訳すかということになった。ある時、外国人が釣り糸を垂れている。そこで何をしているんですかって聞くと、play a sportって答えが返ってきたので、スポーツは“釣り”なんだと理解した。次に馬に乗って楽しんでいる外国人に何をしているんですかって聞くと、同じplay a sport。そこでスポーツイコール“乗馬”と翻訳した。あれっ待てよ、釣りも乗馬もスポーツなら、じゃスポーツとは一体何だと悩んだ。それから少したって、東大に赴任した外国人教授が『アウトドア・ゲイムズ』という本を出版した。それを戸外遊戯法という題名で翻訳出版した。スポーツが“遊戯”ということになったわけです。ところが、世は富国強兵、スポーツは兵隊の訓練として活用されていたので遊戯じゃまずいっていうことになって、“運動・体育”ということにした。また戦争が進むにつれ学生生徒の軍事教練と体育が一体化するようになった。このことが戦後になっても学校教育に結びついたまま発展し、知育・徳育・体育、日本のスポーツは学校の先生が指導するということになった。欧米では、体育はフィジカル・エジュケーション(身体教育)で別の概念、基本的にスポーツは自主的自発的に行い楽しむもの、つまりやりたいからやる、やりたくないならやらない。そして地域社会の中のスポーツクラブが発達することもなく、日本ではスポーツイコール体育という誤解が広がってしまった。2020年東京オリンピックパラリンピックを前に、今こそスポーツという文化に対する理解を深めることが大切だ」
という話でした。
私は、生来病弱で、視力もかなり悪くて、その上、運動神経にも見放されてしまったようで、長身を活かすまでもなく、徒競走に球技・・・、何をやってもダメでした。折から9月、夏休みの余韻を味わう時間もなく、二学期早々に始まる運動会練習は子供心にも憂鬱の日々そのものでした。そして、ついには、運動会当日を楽しみにしている兄弟・友だちを尻目に、ひたすら雨天を祈り続ける毎日となるのでした。
そんな男が、57歳を目前に、高血圧の薬も処方されるようになってまもなくのこと、市民マラソンにいそしむ友人2人と歓談していると、両人、口をそろえていわく「競走ではなく“完走”。走ることは楽しい!」。結局、この甘言に乗せられて、思いもよらずマラソン宣言!約束どおり翌日からジョギング開始、結果、毎週土曜日早朝を目安に約10kmを走り続けて9年目に入ったところです。
ところが、先日、小中学校の同窓生との会合の席上、たまたま隣同士に座った元陸上部のK君と私を比較して、友人が一言、
「2人とも川越マラソンに参加するなんて言ってるけど、無理するな。もちろんKが走るのは分かるけど、矢部はどう考えたって分かんねえ!」
今なお、身体能力だけは逃げも隠れもできないのです。
さて、今年の≪小江戸川越ハーフマラソン≫、親愛会の出場エントリー職員数は昨年を大きく上回って42名、新任職員も多数参加します。
そう、かつての私のように、“体育の呪縛”におびえ続けることもなく、初めから“楽しむスポーツ”を知っている世代も多くなったのではないでしょうか。
(理事長 矢部 薫)