心尽くしの思いやる心〜寄り添いを構築する道〜

少し前のことですが、NHKテレビ『こころの時代』に出演した花園大学教授(松雲寺住職)安永祖堂氏が、江戸時代の禅僧、盤珪永琢(ばんけいえいたく)の逸話として話されたことを紹介します。
盤珪禅師といえば、やさしい言葉で大名から庶民にいたるまで広く仏法を説いたことで知られる高僧です。その盤珪さんが、ある時、日頃よりあん摩(マッサージ)で出入りしている女性にこんなことを言われたというのです。
―このお寺にはいろいろな人が出入りしていますが、ある人がお亡くなりになったという話になると、皆さんのお悔やみの言葉とは裏腹に「あー、家じゃなくてよかった」と聞こえてくるし、おめでたい話になると祝福の言葉とは裏腹に「うらやましい」と聞こえてくる。心も言葉も一緒なのは、盤珪さん、あなただけです―
安永氏は、「本来、私たちが持っている仏心、あるがままの心というものにしたがって生きていけばいいのだ」とする盤珪禅師の話聞一如の境地を目指した聞話(もんな)禅に言及し、あるがままの心こそ難しい、「人生は日々“公案”(禅修行で与えられる難解な課題)と向き合っているのと同じ」と述べられていました。
もう一つ、インターネット上の検索で、光明寺住職 釈一宏師の法話に興味深い、もう別の逸話が見つかりましたのでご紹介します。
―ある時、俳人松尾芭蕉の友人が、かけがえのない一人息子を亡くしたのです。そこで、芭蕉は一通のお悔やみの手紙を出しました。
その手紙の封を切ってみたところ、まったくの白紙で何も書かれていないのです。ただ、手紙の最後に一句だけ、俳句が書かれてあったのです。
その時の句が、
埋れ火も 消ゆや涙の 煮ゆる音(芭蕉
(夫婦二人っきり、火鉢に向かい合い、ただ言葉もなく、帰らぬ子を思っては深いため息と共に涙をこぼす。その涙が、火鉢の埋れ火の上にポトリポトリと落ちて、涙の煮える音だけが聞こえてくる)
だそうです。
芭蕉は、友人の心中を察すればあまりの痛ましさにお悔やみの言葉も慰めの言葉も書くことができない。自らの気持ちを白紙の手紙に託し、万感の思いを込めて一句の俳句にしたためたのです―
住職は、「悲しみに沈む者に、通り一ぺんの慰めの言葉は届きません。否、慰めは言葉にはできないのです。そこにはただ、共に涙する以外に他ないのです。私は、芭蕉のこの心こそが、仏の“同悲、同苦の心”と呼ばれるものに相通ずるものを感じるのであります。“同悲、同苦の心”とは、この世に涙する者に寄り添い、共に悲しみ、共に苦しみ、共に涙する心であります」と、説法されています。
私たち福祉の現場をあずかる身には、“受容”“共感”など、利用者の皆様方一人ひとりに寄り添うことが求められます。居住型の施設ともなると、そこは日常茶飯の毎日・・・、日頃より尊敬語・丁寧語で・・・と心がけていても、「です・ます・いらっしゃいます」の杓子定規ではなかなか人間関係が築けません。時には、冗談を交えながら「です・ます」抜きの肩の凝らない会話が弾むこともあります。
しかしながら、介護・支援にあたるスタッフと利用者の思いとは必ずしも一致しない、裏腹とまでは行かなくても利用者の意にそぐわなかったり、少しばかり逆なでするような発言として受け止められたりすることもあります。それこそ、盤珪禅師のような悟りに至った人でもないかぎり、心も言葉も一重にするということは不可能のような気がします。あるいは、芭蕉のように俳句に託すこともかなわないことです。
ところで、仏教では上記の「仏心」「同悲」「同苦」と同様に「慈悲」を人を思いやる心としていますが、同様の意味をもつ「愛」については愛欲・愛着などむしろ煩悩の一つとしています。
愛といえば、「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない(聖パウロのコリント人への第1の手紙13章)」(『心のともしび』)が記憶に浮かびます。これは、5分間ほどのラジオ番組の冒頭でベートーヴェン交響曲第6番『田園』の曲にのせて、半世紀以上も毎日早朝に放送されていますので、なにかの機会に耳にされた方もおありかと思います。
この「愛」は「神は愛なり」ですので、神を意識した精神的な「愛」で「隣人を愛せよ」、すなわち人を思いやり、人に寄り添うことだと思います。
私たちは、まずは“心尽くしの思いやる心”をもって高齢者や障がい者を介護、支援させていただく以外に親しき人間関係(寄り添い)を構築する道はないのだと教えられているように思います。
(理事長 矢部 薫)