今年の8月は~お盆のこと~

毎週土曜日午前の、少し長めの散歩は、この日、梅雨の止み間をぬって、お隣りの狭山市加佐志地区にある、羽黒神社の本殿左にある菩提樹の花が目的です。
本神社の『由緒書』によれば、「(今から300年ほど前に)羽黒大権現を勧請(かんじょう)し(当地の)氏神となったとき神木として菩提樹を植えた」とあります。現在の山形県にある神仏習合の時代の羽黒大権現を分祀した折に、釈迦がその木の下で悟りをひらいたといわれる菩提樹をご神木として植樹したということです。
別の説明書きによると、樹齢550年といわれるこの菩提樹に、満開過ぎの風情にあっても、なお葉裏に隠れるように咲いているものも多くて、あまり目立たないが確かに咲いています。顔を近づけると、ほんのりと花の香りが確かめられました。
そこから10分足らずのところにある、私の亡母の生家の墓地は、小さな阿弥陀堂の境内に50基ばかりの墓石が並ぶ共同墓地の中にあります。年月を経て、祖父母や大叔父叔母、叔父叔母、そして幼馴染みに至るまで、お世話になった人たちがたくさん眠られています。
この地のお盆は7月31日が迎え盆となります。今ではだいぶ簡略化されたとはいえ、奥座敷に盆棚を作って、家族・親族がそろって先祖の霊をお招きするという、盆迎えから盆送りまでの賑々しい一連のお盆の私の思い出は、今や、すっかりきれいになった墓地の前では、提灯の明かりのように揺らいでいます。新たに戒名の加わった墓誌に、しばし思いをはせたことでした。
さて、毎年繰り広げられる日本民族の大移動のような夏の帰省ラッシュは、コロナウィルス感染予防のため、都道府県によってニュアンスは違いますが、県をまたぐ移動を自粛して、今年は6~7割の人たちが盆参りを控える見込みとの報道がありました。代わりに、ふるさとの家族に送る線香が例年の3倍も4倍も、その売り上げを伸ばしているという。あるいは、代行業者による墓参で済ませ、リモートでその模様を逐一送ってもらうというサービスを紹介した報道もありました。
ところで、「親鸞は、父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にとて念佛申したること、いまだ候はず」(『歎異抄』)とあるように、浄土真宗では私たちのいうお盆は行わないとのことです。
真宗以外の多くの宗派では、『盂蘭盆経』などを根拠(起源)にお盆法要を行っているようですが、親鸞は、追善供養としての念佛、いや追善供養自体を拒絶しているのですから、お盆も例外ではありません。
上記続きに、「(意訳)すべての生きものは、みな果てしもない遠い昔から、生まれかわり死にかわり、無数の生存を繰りかえしてきたものです。そのあいだには、お互いに、あるときは父ともなり、母ともなり、またあるときは兄ともなり、弟ともなりあったことがあるにちがいありません。
生きとし生けるものは、みななつかしい父母・兄弟なのです。この生を終わって、次の生で浄土に生まれ、仏陀になったときには、一人ものこさず救わなければならないものばかりだからです」(梯實圓(かけはしじつえん)「聖典セミナー『歎異抄』第五条」より)
とあります。
私の今年のお盆はやや控えめながら、その分、親鸞聖人の教えに思いをめぐらせるよい機会にしようと思います。
(理事長 矢部 薫)

生きるを支える❝Supporting One's Life❞

先日、親愛センターへ向かう道路上で、総合相談室のIチーフが前からやってきて、「あのう、親愛会の理念<生きるを支える>を英語表記にするにはどうしたらいいでしょうか」と、私に聞いてきました。
私は、とっさに「生きるはliveじゃなくてlifeで、支えるはsupportでしょうね」などと答え、後ほど私のところに来る約束をして別れました。
昼前に、彼女はやってきて、2つの案を手際よく説明しました。
親愛会では、今からちょうど5年前に、特養ホーム「みどりのまち親愛」の開設にともなって、それまでの障がい者を対象とした理念<一人ひとりの個性を大切に>から、高齢者も含む地域の皆様方の<生きるを支える(生きづらさを支援する)>理念へと枠組みを変えました。(※本ブログ「親愛会の理念と今後について(2018.8.31)」参照)
新理念の最初の文章となった、35周年記念誌『しんあい』中の「初心 生きるを支える~社会福祉の3つの“支える”~」には、
① “「ある、する」存在を生きる”を支える
② “家族の一員として生きる”を支える
③ そして、“人生の役割を生きる”を支える
が、その説明とともに記載してあります。
その意味合いを私なりに確認して、数年前まで英語圏の国で福祉職に就いていたN主任の助言も得たということなので、すんなり表題のとおりに決めることとしました。
親愛会では、今春より新型コロナ感染予防の一環として、利用者様の外出・面会、ボランティアの受入れなどの自粛をお願いしてきました。このことは、上記理念に矛盾することになりかねませんが、ここは利用者様の生命にもかかわる緊急事態です。各事業所の特性に応じて、自粛中にあっても、可能な範囲で“生きるを支える”ための工夫をさせていただいているところです。
そして、6月中・下旬より、埼玉県、福祉種別団体等の動向を参考に、法人として徐々に自粛緩和を進めさせていただいております。もちろん、それぞれの事業所により、そのスタンスは違いますが、特に入所(居住)型の施設では慎重の上にも慎重が求められます。
ところで、“生きる”について、5月末に再放映されたNHKテレビ番組『こころの時代』「末法の世を生きる」(2013.4.7、放映)で、小説家 高史明氏は、現代の“生きる”を“順次生(じゅんじしょう、『歎異抄』)”の考え方に拠り、生死の連続性(同時性)の中でとらえ直すことが大事だとしています。一部を引用させていただきます。
「現代の時代で、私自身の思いであるかもしれませんが、人が亡くなったらなるべく早く見えないようにしていく、一刻も早くといってもいいぐらい。で、そうでなくて、人が亡くなって特に身近な人の場合は、その頭のてっぺんから足の先まできれいに縁者が見つめて、それを私の言葉で言やあ、いただいていくと、その時に亡くなれば当然声はありませんけれども、その頭のてっぺんから足の先までいただいていくという気持ちで、きれいに亡くなった人の姿を私たちが手を合わせていただいていくと、声にならない声が聞こえてくると思うんですね。これがね、私は現代人が生きる上で非常に大事なことのように思うんです。現代はなるべく早く、亡くなったらすぐ、もう一刻も早く納棺してという作業にいって、昔はまだ形だけでも儀式が残ってましたけども、この頃は儀式すらだんだんなくなっていく。
そうしましたら人間が生きるということは、生きるという一字ではなくて、生死(しょうじ)という、生きると死ぬという二つの字で人間の生を見ている思いがあると思いますが、生きるということは同時に死ぬということを含んであって、死ぬということを本当に大事にしたときに、生きるということに光が私は当たってくると思うんですね
(理事長 矢部 薫)

この春、子どもたちは~感染症対策休校~

今年の春休みは長かった。
突然、あるいは新聞・テレビの報道を追うかのように、新型コロナウィルス感染症対策として、当地の小中学校も3月1日をもって<休校>となってしまったのです。日本国中の子どもたちが限られた家庭での生活を強いられることになったのですから、大変です。
さっそく、隣に住む孫の小学生は、「コロナだから」などと言いながら、それでも弟の保育園児と連れ立って、毎日のように、家の敷地内をいつも以上にぐるぐると探索して回っていました。時に気晴らしになればと誘った、家内の“泥まんじゅう作り”にはあまり興味を示さず、勝手に庭のあちこちを堀っくり返して水路を作り、橋を架けては、寒暖の差の激しい春先にあっても水遊びに明け暮れたのでした。
そんなある日、「ニホントカゲを捕まえた!」と飼育箱を見せにやってきて、それを皮切りに、多いときは箱に恐竜のような不遜な面構えが4匹、5匹・・・。結果、朝から晩まで餌となる小さなバッタなどの虫取りが始まって、それまでの日課に取って代わっていきました。
ついでに、私たちの早朝散歩に誘ったところ、季節外れの虫取り網をかついでついてきたので、見知らぬ散歩者からも「元気ですね!」と声がかかったものです。(※これで、2か月以上は持ちこたえられたのだと思います)
そして、2人とも、私が教えた麦笛をどうにか吹けるようになって、加えて四つ葉のクローバー探しも板についてきた矢先の、ある朝のこと、少し道を外れて草の生い茂る畑に足を踏み入れた兄の小学生が引き返してきて、「鳥が死んでる!」と言う。急いで行ってみると、明らかにカモ(鴨)がくちばしを先に投げ出し地面にうっ伏していて・・・、でも、時折、目ばたきをしているのです。
どう見ても衰弱しきっていて、頭上には近くを走る送電線から数羽のカラスの鳴き声が聞こえてきます。「(野生のことだ)、そっとしてあげよう」ということになって、私たちはクローバー探しを切り上げて、散歩にもどりました。
「ああ、カモはまもなくカラスに見つかって食べられてしまうだろう。動物病院に連れて行くとしても、この辺の病院は犬猫専門で野生動物は診てもらえるかどうか分からない。その上、今日は日曜日・・・、休診のところも多いだろう」などと、私の独り言・・・。
あきらめかけた、とその時、「いや待てよ、智光山公園の動物園に持ち込めば診てもらえるかもしれない」。引き返して、カモのもとへ急いだのです。
「暴れてはいけないから」と、私が野球帽で目隠しをしようとしたところ、カモは少し首を上げて、体勢はそのままにして、右翼でバシッ、バシッと鋭く抵抗(反撃)・・・。その反動で体がよじれて、左翼の傍らから羽毛の敷き詰められた巣の一部と、中に卵が5つ6つあるのが見えたのでした。
ここは草畑といっても、まわりはサトイモ・大根などがすくすくと育っている畑作地帯のど真ん中。それに、地形上は不老川に沿ってつかず離れず細長く伸びた河岸段丘の丘陵部・・・、名ばかりの一級河川から5百メートルも離れていて、間には家々の並んだ集落もあるし、朝夕には交通量がにわかに増える主要幹線道路も走っている。無事に、ヒナが育って、親子ともども川に戻って、水草を食べるようになる、このことを祈るばかりです。
そんな5月もどうにか終えて、6月を迎え、ようやく学校が再開の運びとなりました。今年度も残り10か月、第2波の感染拡大が懸念される中での再開です。
通学班も再開となりました。私が、「班長は元気?」と聞くと、「班長は、(もう)中学生だよ」と答えが返ってきて、事実上、6月1日が小学2年生の進級日となったことでした。
(理事長 矢部 薫)

“職務と試練”~新型コロナウィルス感染拡大~

昨年11月末に、中国湖北省武漢市で新型コロナウィルスの最初の感染症例が確認され、またたく間に世界的感染拡大が報道されました。日本では、2月19日に横浜港に入港した豪華客船ダイヤモンドプリンセス号により、その感染力が明らかとなって、いまなお感染の火の手は収まらず、企業の営業自粛、学校の休止など、いわゆる三密回避の状態が続いています。そんな中、私なりに注目したことがありましたので、ここにご紹介します。
まず、先月11日の午後のこと、NHKテレビで放映中の「100分de名著カミュ『ペスト』(再放送)」にくぎ付けになりました。
カミュといえば、学生時代に『シーシュポスの神話』を読んで、なんとなく“不条理”を理解した気になって、『異邦人』『ペスト』と進むうちに理解不能・・・、挫折したことがありました。その『ペスト』が新型コロナウィルスの感染拡大により、世界的に異例の増刷、売上げに及んでいるというのです。
早速、テキストを取り寄せ、改めて『ペスト』の奥深さを知ることとなりました。ここでは、ネット検索から下記を紹介します。
「NHKおうちで学ぼうfor School名著77ペスト」“プロデューサーAのおもわく”より(第2回 神なき世界で生きる【語り】抜粋)
ペスト蔓延の中で、市民たちは未来への希望も過去への追憶も奪われ「現在」という時間の中に閉じ込められていく。ペスト予防や患者治癒の試みがことごとく挫折する中、現実逃避を始める市民に対して神父パヌルーは『ペストは神の審判のしるし』と訴え人々に回心を迫る。その一方で、保健隊を結成しあらん限りに力をふりしぼってペストとの絶望的な戦いを続ける医師リウーやその友人タルー、役人グラン、脱出を断念し彼らと連帯する新聞記者ランベール。彼らを支えたのは、決して大げさなものではなく、ささやかな仕事への愛であり、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感だった」(講師:学習院大学教授 中条省平氏)と、ありました。
次に、24日TBSテレビ放映の『金スマ』で、XJAPANのYOSHIKI氏は、自らの波瀾万丈の人生を振り返ったスペシャル番組を終えた後で、ロサンゼルスから「(略)神は耐えられない試練を人には与えない。僕はその言葉をいつも信じて生きてきました。(略)一日も早い夜明けが来るように頑張りましょう」と新型コロナウィルス緊急メッセージを伝えました。
それよりも前の、18日から合計6回にわたって放映されている『JIN―仁―レジェンド』(パート2)で、喜市(きいち)少年に「生きていれば笑える日がきっと来る。神様は乗り越えられる試練しか与えない」(せりふ)と、言わせています。
そういえば、去年の2月には、白血病と診断されたことを公表した水泳の池江璃花子選手が自身のツイッターで「自分に壁はないと思っています」とつけ加え、また大けがでシーズンをフイにしたスケートの羽生結弦選手も同様に、この“試練”を口にしています。
出典は、『旧約聖書』(出エジプト記)中、エジプトからのカナン(約束の地)へ向かうモーゼ率いるイスラエルの民を、彼らの犯した罪ゆえに40年間にもわたる流浪生活を強いた“試練”についての記述、『新約聖書』(使徒パウロによるコリントの信徒への手紙一10章13節)で、次のようにあります。
あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えてくださるのである。」と。
以上、引続きお一人おひとり様のかけがえのない人生をお預かりすることを義務づけられた、福祉法人としての使命を補強する意味合いをこめて、引用させていただきました。
親愛会では、法人内各施設長ら管理職をメンバーとした経営会議を中心に、新型コロナウィルスに関する情報交換、対応策などをめぐって、週を重ねて、その具体策の精度を高めています。
私たちは、緊急事態宣言下(特定警戒県)の1か月を終え、引続き5月末日まで延長の警戒態勢が続く中、時に“ゴールの見えないマラソン”を強いられているような焦燥感にかられることもあるかと思われますが、役職員一同、今後とも法人理念でもある「生きるをお支えする」ことに全力を傾ける覚悟です。
(理事長 矢部 薫)

"犠牲なき献身"~令和2年度辞令交付式~

4月1日午前9時より、新任職員を迎えて、みどりのまち親愛内の髙沢ホールにて、「令和2年度辞令交付式」を行いました。
恒例の理事長あいさつ(訓示)と令和2年度一文字漢字発表をご紹介します。
「本日の辞令交付式にあたり、ご挨拶を申し上げます。
6名の新入職員の皆様方、ご入職、本当におめでとうございます。ご家族の皆様方も、さぞかしお喜びのことと存じます。
さて、今年の式典は、新型コロナウィルスとの世界中の戦い、パンデミック直前ともいえる中で行われるという、特別な日となってしまいました。
そのパンデミックの語源となった、1918年に起きたインフルエンザの世界的大流行は、結果、当時の世界人口約20億人のうち、感染者は最大5億人、・・・実に4人に1人が感染し、死者数は1千700万人から多くて5千万人に上り、その終焉には2年近くを要したとあります。
現在の医療水準は、当時とは格段の差があって、世界中の国々が躍起となって、治療薬の開発に取り組んでいる今では、克服に、そんなに時間は要しないとは思います。しかしながら、人口も80億人と当時の4倍に増えた一方で、政情不安を主な原因とする難民、実質的に飢えと寒さとの戦いで明け暮れる国々などへの、今後のウィルスの蔓延を考えると、今回のコロナウィルスとの戦いは、被害も拡大し、時間もかかるであろうと危惧されます。
ところで、1850年代に、西は中・東欧諸国を流れるドナウ川から東は北海道の北東方面に位置するカムチャッカ半島に及ぶ広大な地域で勃発した、いわば世界大戦の先例となったクリミア戦争に従軍したナイチンゲールは、戦場における負傷兵の悲惨な状況の改善に奔走し、「犠牲なき献身こそ真の奉仕」と経済的支援を訴えて、みずから看護を実践し、のちに医療から独立した看護学を確立したことで有名です。その多くは、医療看護を超えて、私たちの福祉の現場を支える理念となって、現在でも脈々と受け継がれています。
私たちは、今、まさに、コロナウィルスとの戦いに直面しています。私たちの各事業所でも、「絶対にウィルスを入れない」という段階から、「万が一感染者が出た」場合の対応をめぐって議論が始まったという段階にきています。
そんな異例の辞令交付式、仕事始まりではありますが、そのナイチンゲールの言う「犠牲なき献身」とは、毎年、秋からの半年間はその流行に神経をとがらせられるインフルエンザやノロウィルスへの対応も含め、自らの身を守りながら福祉の仕事を実践していくという、今や、私たちの基本的な心構え(姿勢)でもあります。
どうか皆様方には、過剰な、不適切な報道に惑うことなく、今こそ、法人を挙げ、それぞれの職場を挙げて、目に見えぬウィルスとの戦いに打ち勝って行こうではありませんか。
一日でも早く、このような状況下での辞令交付式も、よき経験(思い出)となるであろうことを祈ってやみません。
本日は、まことにおめでとうございます。」
「次に、今年度の一文字漢字は『採』とします。意味は、①とる。とり出す。とり入れる。「採掘」「採光」②拾いとる。集める。「採取」「採集」③えらびとる。「採択」「採用」とあります。
今年度は、事業計画にもとづいて、引続き人材<採用>に全力を挙げて取り組まなければなりませんし、人材育成では職員一人ひとりの潜在能力をも<採掘>して、中長期計画にかかわる各種情報を<採集>し、諸事業の実施(具体化)に向けてさらに歩を進めたいと思います。」
(理事長 矢部 薫)

”雪の八ヶ岳連峰”~戸口元施設長の写真展~

先月の、ある日曜日の昼前のこと、折から雨模様の川越駅東口は、連日のコロナウィルス流行報道の影響もあってか、いつもより観光客の数が少ない。
2月の1週間を会期に、駅前アトレビル6階ビーポケットにて開催された写真展は、川越親愛学園(現、川越親愛センター)第3代施設長であった戸口正夫氏が、長年活動されてきた写真の同好会“川越やまぶきフォトクラブ”の『第17回写真展』でした。
当日は最終日。会場入口で係に、「戸口さんの写真を楽しみで来ました」と挨拶すると、「午後には、いらっしゃると思います」と返事があって、作品の一つひとつを、時に写真技術、時に撮影地でのエピソードを交えながら、丁寧にご案内いただきました。私は、今なお関東甲信から岐阜県にまで広く活動(取材)されている本クラブ員のキャリアを称えると、「今でこそ、(近場だけ車で行って、)電車バスの旅も多くなりましたが、戸口さんには、ずいぶん遠くまで連れて行ってもらいました」と、彼は感慨深げにうなずいていました。
戸口元施設長の写真を紹介しますと―、雪の枯野(防風林)に沿うように点在する牧場や民家の広がりの奥にどっかりと鎮座した峰々、作品『雪の八ヶ岳連峰』は、先生持ち前の、写真を越えてこちら側に空気感を余すところなく漂わす作品です。私にとって、紅葉木立のあでやかさを切り取った作品『湖畔の彩色』と合わせて、かつて親愛南の里施設開設時にいただいた4枚組『春夏秋冬』の作品群をほうふつとさせるものでした。
続く、作品『シャレーポピーの丘』『天空のネモフィラ』は、それぞれの上部を区切る丘の稜線にまで続く、赤、そして青の花の大群落が、空の青さとあいまって見る人の心を圧倒します。
そして、作品『渋峠の夜明け』は、画面下半分に、近くの山々から浅間山のような特徴(台形)のある山並みへとそのシルエットが黒々と重なり合い、上半分の朝焼けの大きな空は、朱から黄色へとグラデーションをなして、ひたすら美しい作品でした。
夜になって先生からお礼の電話がありました。私は「都合で、午前のうちに鑑賞させていただいて、先生にご挨拶もせずに会場を後にしてしまって申し訳ありませんでした」とお詫びしました。
そして、「先日の俳句会の席で、ことぶき生活支援センターの村上施設長からご案内いただきました。その村上さんにしても「偶然に前を通ったらやっていたので」とのお話でしたが、せっかくの機会ですから、祝日明けには戸口先生を存じ上げる職員に声をかけさせていただきました」と前置きし、少し作品について感想を述べさせていただきました。
先生は、「もう、(来世も)そこまで来ているので・・・」などと謙遜されておられましたが、私にとって、戸口先生のご健在ぶりを証明するに余りある作品展でした。
何より、これまで先生が出会われた人たちの、だれもが口をそろえる“高潔の士”の、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
(理事長 矢部 薫)

今後の社会福祉法人の事業展開~検討会報告書を見る~

昨年12月19日にその中間報告を発表した「全世代型社会保障検討会議」(内閣府)と合わせて、「社会福祉法人の事業展開等に関する検討会」(厚労省)についても、報告書(12月13日)が出されました。今回はその報告書について、関連の話をご紹介しながら、本検討会のいう「社会福祉法人の連携・協働化」について考えてみたいと思います。
今から30年も前の話です。時の上司は、当時、埼玉県内に年に2~3か所ずつ整備されていった知的障害者入所更生・授産施設(現在の入所支援施設の前身)、そして通所更生・授産施設(現在の生活介護・就労系事業所の前身)、それから川越市内に次々と整備されていった心身障害者地域デイケア施設(その多くが地域活動支援センターに移行)のオープンの案内を前に、ある時、私たちにこう話されました。
「戦後、昭和26年に社会福祉事業法が成立して、昭和30年代から40年代は国県市の行政の責任、あるいは地域の篤志家の熱意によって施設整備が始まった。昭和50年代になると、知的障害児者の親たちの気運の高まり(運動)によって、養護学校(現在の特別支援学校)の義務化が実現し、そして卒業後の行先(進路)の一つとして、親たちが自ら立ち上がって、それぞれの地域の実情に合わせた入所、あるいは通所の施設が整備されてきた。ここまでは日本型の障害者福祉の歩みとして、先人たちの活動に頭が下がる。
問題は、これからだ。今、こうしてバブルがはじけて、この先のありようを考えたとき、これまでのような右肩上がりの福祉施策は望めないであろう。少し乱暴と思えるかもしれないが、以下の論議も必要な時代が遠からずのうちにやってくる。例えば、
① 市内の各法人の重複する事業等を見直し、利用者ニーズに応じた適正な量と質を検討し、それぞれの施設の専門性・効率性を高めて経営基盤の安定化を図る。
② 各法人間で人材派遣・交流を適宜に実施し、より高度な専門性をもって利用者の日常生活や社会生活の向上を図る。また、新しい地域福祉ニーズが生じたときに、法人間による「人材シェアリング」(職員が雇用されている法人の枠を超えて、他法人と協業することで、新規事業や緊急時に新たな対応が想像できるように)を行い、それぞれの施設の専門性・効率性を高めていくことが想定される。
③ 従来は、各法人が個別で必要な日用品・雑貨類・食材等を購入していたが、スケールメリットを生かした調達を実現するために、各法人の意見や仕様を取りまとめることで、業者と高い交渉力を発揮して、適切な価格で共同購入によるコスト削減を図ることを具現化する」と。
次に、本検討会の委員である松山幸弘氏による研究レポート『新しい統合医療事業体の創造』(富士通総研(FRI)経済研究所)に、触れたいと思います。
本レポートには2003年7月とありますので、少なくとも今から10年、15年以上も前のことだと思います。私はある全国研修会で、松山氏から本レポートの一部を使った社会福祉法人向けの講義を受けたことがありました。
内容は主にアメリカの“IHN(Integrated Healthcare System)”の紹介で、氏はIHNを「人口数百万人の広域医療圏において急性期ケア病院、診療所、リハビリ病院、介護施設、在宅ケア事業所、地域医療保険会社など地域住民に医療サービスを提供するために必要な機能を網羅的に有する総合医療事業体」と「敢えて定義」して、わが国でも活用可能な「広域医療圏での共同事業による効率化(枠組みの構築)」の必要性を提案していました。私は、例えば埼玉県西部地域(人口100~200万人)の大学病院を中心とした広域の医療福祉圏域を想定してみて、医療・福祉の連携に思いをはせたことでした。
ところで、厚労省は2025年を目途に、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう」、すなわち「住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるためにも」“地域包括ケアシステム”の構築が重要だとして、人口、高齢化の地域差に配慮し、特性に応じた市町村単位のシステムを作り上げることとしました。川越市では3年前に、医師会を事務局に川越市地域包括ケアシステム構築のための「コミュニティネットワークかわごえ」が発足したところです。
他方、社会福祉法人について、この数年のこと、国の資料や福祉系専門誌の特集に、少子高齢化、人口減少社会下の労働力・財源不足を背景にした「社会福祉法人施設の大規模化」の文字が多く目につくようになりました。これについては、大規模化=合併論議は少し行き過ぎ・・・。今後も特別な事情のある一部の法人に限られることになる、と私も思います。ちなみに、合併・事業譲渡については、本検討会の分科会として引続き公認会計士を委員とする「社会福祉法人会計基準検討会」で整理を進めていくとしています。
本報告書により、国は、いわば一般企業のホールディングスカンパニーをイメージした社会福祉法人の連携・協働化に向けた仕組みとして、先の地域医療連携推進法人制度をモデルに「社会福祉法人を中核とする非営利連携法人制度」創設を提示するに至りました。
私たちは、法人の理念推進とともに、もう一つの大きな目的である“事業継続”を考えたとき、一方では地域福祉を支える仕組みとして地域包括ケアシステムによる連携を求められ、他方では社会福祉法人の経営強化のための連携・協働化が期待されているのです。
私たちは、今後、本検討会が進める「合併や法人間連携の好事例の収集」や「ガイドラインの策定」を注視していくとともに、法人を「地域における良質かつ適切な福祉の提供主体」として継続、発展させていきたいと思います。
(理事長 矢部 薫)