初心忘るべからず〜新年度を迎えるにあたって〜

先日、俳句のテレビ番組を見ていると、主宰から「“初心忘るべからず”には3通りある。」との解説がありました。「初心・・・」と言えば、時節がら入社式を迎えて、今時は少なくなっているとはいえ、社長挨拶で訓示されるところもあるかと思います。番組で、このことの詳細を聞き流してしまいましたので、改めて調べたところ、以下のとおりでした。
出典は、室町時代、父 観阿弥とともに能を完成させた能楽師 世阿弥の著作で、父親の『風姿花伝(ふうしかでん)』を発展させ、自身の実践を通して芸術論にまで高めた能の理論(指南)書『花鏡(かきょう)』中の一節、
『しかれば当流に万能一徳の一句あり。初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし』
によるとのことです。
特に、私は若い頃、何事も長続きせずにいたため周囲からいつも初心を問いただされ、あるいは入学式などでの来賓挨拶で聞き馴れていて、「何事についても、最初に始めた時の心意気や謙虚さを忘れてはならない」とばかりに解釈してきました。ところが“三ヶ条の口伝(くでん、3通りの口伝え)”があるというのです。私なりに解釈した分も含めて紹介します。

①“是非とも初心忘るべからず(善悪を問わず初心を忘れてはいけない)”
原文は『是非初心不可忘』ですが、この“是非”は<善悪>で、私たちが現在使い馴染んでいるような<是が非でも>、<きっと、どうぞ>、さらに<必ず>ではなく、能や国文学の世界を中心に伝統的に解釈されてきたのか、“是非とも”は<善悪を問わず>のようです。そのため、<夢々、初めて始める時の心意気を忘れるな!>などという段階ではなく、さらに“非”すなわち“悪”が強調されて、<最初の時の芸の未熟さをよく覚えておいて、初心(の頃の欠点)を自覚して将来の芸の上達に役立て精進しなさい>との解釈が正当のようです。
福祉の世界に限らず、私たち、誰にとっても、新たな職場に就職した当初は、毎日が新鮮な体験の連続だと思います。しかしながら、1〜2か月も過ぎると、改めてチームワークの中で思いどおりにならないことに気づかされ打ちひしがれて、いつしか最初の意気込みもトーンダウンしてしまい、ついにはモチベーションを下げてしまう結果となることもあるかと思います。そのためには、自らの最初のレベルをよくよく自覚して、努力する(キャリアを積む)こと以外に、道はないのだということを言っているのだと思います。
②“時々の初心忘るべからず”
さらに、経験を重ねて、一定のレベルまで達したとしても、その段階での初心があるはずで、<その時々の初心として、芸の未熟さ、欠点を自覚して、もう一段上を目指して精進しなさい>というのです。
私たちは、自らの天職と感じて仕事に就いても、何年かするうちに、どうしても日々繰り返される業務に自らを見失い、各自のモチベーションを下げて、最後には自らに合った職場ではなかったと、初心を自己否定(職場を離れていく)ということもあるかと思います。もちろん、自らの反省と、職場側に改善の余地がないならば、心機一転、転職して新たな初心を得るチャンスはあります。しかしながら、ここは、自らの未熟さを課題として、キャリアを積むことに専心し、モチベーション向上につなぎたいものです。
③“老後の初心忘るべからず”
ここで言う“老後”とは、芸は一生なので<老いた後でも、なお>という意味で、今風な<定年退職後の新たな趣味あるいは地域の活動等に挑戦する上での>初心を説いたものではないとのことです。つまり、<経験を重ねていよいよ最終段階に来ても、なお完成ということはない。もう一つ上の、新たなレベルを目指して精進しなさい>というのです。
私たちは、近年、福祉の道にあっても生涯の職場とする人が減少し、その結果3年も経つと中堅職員と呼ばれ、時にはリーダーとしての仕事が要求されます。また、支援現場では日中・夜間にかかわらず繰り返しの業務が多いため、1〜2年もすると、業務を理解し、もうこれ以上することがないと感じ、行き詰まってしまうことがあります。そうした場合、他の福祉分野の情報を得たりして、年々多様化していく利用者のニーズに新たに挑戦できるような力量が求められているのも事実です。
私たちは、退職の日まで、できるなら定年まで、自らの足らざるを反省して、自らのキャリアを高める努力をしなければならない。このことを置いて他に、モチベーション向上はあり得ないのだと思います。

以上、年度初めにあたり、今まさに、全員“初心忘るべからず”なのだと思うのであります。

付記 一句、『墨を磨(す)る 老後の初心 冬の鵙(もず)』(井蛙)
※親愛会『和み俳句会』主宰(前理事長)の長野操さんは、昨年自費出版された句集に見事な挿絵を入れるほどの才能をお持ちですが、80歳の今年、新たに師に付いて水墨画に挑戦され、さらに絵の道を究められているそうです。
長野さんに敬意を表し、応援句とさせていただきました。
(理事長 矢部 薫)