高齢知的障害者の行先〜親愛南の里開設10周年を迎えて〜

先月1日で、障害者支援施設「親愛南の里」が開設10周年を迎えました。
建設にあたり、元川越親愛学園施設長で長年理事(理事長職務代理)としてもご活躍いただきました戸口正夫先生と、用地探しで市内東西南北30か所も歩いたことが今でも懐かしく思い出されます。
そもそも、南の里は、開設20年を過ぎた川越親愛学園(現、川越親愛センター)で入所者の高齢化対策に苦慮した結果として、それまで県内のある施設で検討されたものの実現には至らなかった“高齢者棟”をコンセプトに、他方では、入所施設解体の論議が活発となり、翌平成14年にはついに「施設解体宣言」(宮城県)が発表されるなど、“最後の入所更生施設”として、当時も今もニーズの高い重度者の受け皿としての“重度棟”を加えて、どうにか建設内示を受けた経緯がありました。
そのため、時の理事長であった長野操先生は、現場の一線にある職員の意見を最大限尊重すべしと、県内外の高齢化傾向の著しい施設の見学及び設計会議を重ねた結果、居室を個室、あるいは2人部屋構造とした上で、プライバシーを最大限守ることとしました。したがって、当時50名の定員ながら親愛センター(定員40名)の2倍にも及ぶ床面積で、かつ直線廊下に変化を持たせた構造は、高品質の建材も多く取り入れて、10年後の今なお、威風堂々、しっかりした建物として、素晴らしい外観を誇っています。
しかしながら、私たちの当初の予測とは大きく違って、南の里開設後2〜3年目頃から、入所者の高齢化傾向は加速度を増していって、車椅子、おむつ対応から機械浴、ミキサー食、胃ろう対応の利用者が増えるにつれて、利用者にとっても職員にとっても建物構造上、日課として衣食住すべてにわたる老人ホーム並みの介助を行う上で、また健康把握等に効率が悪くなりつつあります。
入所施設については、現在の障害者自立支援法下でも入所者のうち可能な人から“地域移行”させるという方針があります。しかしながら、高齢・病弱を理由に、結果として施設に残る、残らざるを得ない利用者を抱えつつ、実態として日に日に進む利用者の高齢化・病弱化に比例して多くなる業務と、障害者支援施設としての、建物のみならず看護職員を始めとするスタッフの人員配置においても限界を感ずるところでもあります。
このことは親愛会ばかりの問題ではなく、全国的に知的障害者関係施設法人の高齢・病弱者の対策として、あるいは広域型、あるいは地域密着型(小規模)と、特別養護老人ホームの建設に向けた関心が高まりつつあります。その大きな原因として、高齢者施設の絶対的な不足により高齢知的障害者の受入れが事実上進まないことにより、70歳、80歳以上になっても、引続き障害者支援施設で見ていかなければならない、場合によっては人生の最期を“看取る”(ターミナルケア)事態も引き受けざるを得ない現状があります。
親愛会では、本年度の事業方針で、高齢者施設の研究を進めることとし、南の里の職員を中心に、今夏から県内特養ホームの視察を重ねております。
ところで、入所施設については、本年8月30日付の『障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言』(障がい者制度改革推進会議総合福祉部会)によれば、“骨格提言の基礎となった2つの指針”で、障害者権利の条約第19条「すべての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域で生活する平等の権利を認める」を受けて、「(a)障害者が、他の者と平等に、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の居住施設で生活する義務を負わないこと。」として、入所施設に否定的です。が、本文中では、「施設入所支援については、短期入所、レスパイトを含むセーフティネットとしての機能の明確化を図るとともに、利用者の生活の質を確保するものとする。」「施設入所に至るプロセスの検証を行いつつ、地域基盤整備10カ年戦略終了時に、その位置づけなどについて検証するものとする。」として、機能論・存続(廃止)論に10年の猶予期間を設けたことになります。そして、予想どおり、地域移行後の、残された高齢・病弱者の対策(居てもいいのか?どこへ行けばいいのか?)は、私の見た限りどこにも書かれていないようです。
私たちは、施設入所支援のあり方がどのように変わろうと、他の福祉分野も視野に入れながら、今後とも障害福祉基盤としての機能が十全に果たせるよう、まずは人材育成、このことは常に認識していたいと思うのです。
(理事長 矢部 薫)