丸山先生の思い出“元気を出して!”

川越親愛学園第2代施設長であった丸山豊(とよ)先生が、7月下旬にお亡くなりになりました。
葬儀には、先生のかつての部下であった新井施設長他職員・元職員が参列しましたが、私はどうしても抜けられない用事がありましたので、後日、高崎市内のご自宅をお伺いして、ご焼香をさせていただきました。
丸山先生は、長野県生まれで、終戦間近の昭和20年3月(19歳)まで満蒙開拓団青少年義勇軍に所属し、敗戦前の引き揚げにより帰還、同年4月長野県立の児童自立支援施設を皮切りに、国立秩父学園・国立コロニーのぞみの園等の国県市立、および埼玉県内外の社会福祉法人の知的障害関係施設の重職を歴任され、昭和61年6月(60歳)に、川越親愛学園副園長として入職し、平成元年4月より園長に就任、平成6年3月まで計8年にわたり勤務されました。
入職されてまもなくの、ある日のこと、折から初夏の暑さが増してくる昼11時過ぎ、大きな荷物を抱えて、汗を拭き拭きやってくる先生の姿が、学園裏のジャガイモ畑で農作業をしている私たちの目に留まりました。
「あれー、今度来た副園長が何か持ってきたぞ!」
誰彼ともなく声がして、みんなで行ってみると、
「とにかく昼休みに2階に集まってくれ」
とのことでした。
やがて、昼食を終えて、会議室に行くと、すでに先に集合の職員と何やらやっている。聞けば、シャープの「ワードプロセッサー(書院)」というもので、
「君たちも、そのうち全員が鉛筆代わりノート代わりに持つようになるから、これで使い方を習ってみてくれ。将来は誰でもパソコンを使う時代がやって来る」というのでした。
当時は、私ばかりではありませんが、はやり始めのパソコン業界を毛嫌いして福祉施設に就職してきた職員も多くて、「やれやれ福祉までパソコンか」と少し反発心が湧いてきたのも事実でした。しかしながら、この時点から、あらゆる文書のワープロ化が進み、会計経理、そして処遇記録のパソコン化が進んでいったのは言うまでもないことです。
また、丸山先生は、それまでの特殊教育のいう「呑気・根気・元気」を認めつつも、「それにとどまってはダメだ。世界にはノーマライゼイションという考え方がある。大いに勉強しなさい。それにはまず障害福祉の原点を知ることだ」と言って、その時までに購入しておいた『近藤益雄著作集』を示して「貸し出すから代わり番こに読め」と言う。それまでの私たち、学園開設後8年目を迎えた職員はといえば、農作業を中心に、牧歌的な学園生活を謳歌(?)し過ぎて、トラクターやチェンソーの扱いをマスターすればこそ、・・・何時しか勉強すること、本を読むことを忘れかけていたものですから、これをきっかけに福祉バイブルと言われるような先人たちの著書を、むさぼるように読み漁ったのも事実でした。
実際の先生は、ことあるごとに「(あるがままに)あたり前に」とか「ともに生きる(ということ)」など、益雄(えきお)氏子息の近藤原理氏の著書名でもおなじみの引用句を使って知的障害者の施設での、さらに小集団での暮らしのあり様を表現されていました。その証しとして、平成2年7月に、まだ始まりたての埼玉県生活ホーム事業「サンハイム」を開設されたように思います。このことは、規模的には“ささやかな一歩”でしたが、それまで国の方針に基づいて1法人1施設で良しとしてきた法人運営にとっては思い切った“大きな一歩”、これ以降の各種事業の展開を見たときにこの時が“最初の一歩”であったと評価されるべきことだったのです。
ところで、かつて丸山先生が園長に就任してすぐに「施設便りを作ろう」と提案されて、翌5月から始まったワープロ広報紙『親愛だより』の随筆欄を<和顔愛語>と命名されたのでした。それが場所を変えて、本ブログに継承されていることになります。
かつての『親愛だより』の中から一文をご紹介します。

『元気を出して』
斯会の先達に、この人達の指導は、呑気・根気・元気の三つの気が必要だと教えられた。その三つの気は健康と関係が深いようである。
病気とは気が病むのであり、元気とは気が充実していることだと東洋医学では教えているそうである。ではその気とは何かというと、目に見えないものであるから説明も難しいという。
ある健康食の菓子箱の中に「元気」の十ヶ条と云うのが入っていた。その十ヶ条というのは次のようなものであった。
一、気の多い食物を攝る(自然の産物)
二、気(樹)の多い場所で過ごす(森林浴)
三、呼吸(気)を整える(長いき)
四、気の充実した顔(和顔)
五、愛語(言葉には魂=気がある)
六、希(気)望を語る(夢)
七、気の通る道(背骨)を整える(姿勢)
八、人の喜ぶ事をする(気の交流)
九、感動する心(元気の気)
十、感謝する心(元気の気)
以上であるがこの十ヶ条の前に次の文がある。
朝は希望に起き 昼は努力に生き 夜は感謝に眠る。
この元気の十ヶ条は、人の生き方の根本を教えているように思われる。姿勢を正し、和顔愛語で、希望を持ち、人の喜ぶことをする。自然の食物を食べ、自然の中で感謝の心で暮す。まことに良い哉である。(『親愛だより第48号』抜粋)
健康に人一倍気を使い、和顔愛語に生きた丸山先生の人生観が見事に表現されていると思います。

利用者の皆さんには、野沢菜を漬けタラの芽を栽培して、少しでも収入を上げられるよう農耕班の指導を、・・・時に故郷の詩人高野辰之の童謡唱歌のハーモニカ演奏もしていただきました。また、先生が一時、京都市の施設で勤務されたこともあって、「一度は京都に連れて行ってあげたい」と京都旅行を自ら計画され実行されたことも、職員共々楽しい思い出に残っております。
その他、学園職員宿舎に奥様も同伴で住まわれていましたので、時々、同僚と食事に招待されて手料理を御馳走になりながら福祉談義に花を咲かせていただいたのが私の良い思い出です。
私は、丸山先生を評して、園長在職のうちから「二代目にして福祉の本道を示していただいた中興の祖」という言い方をしてきましたが、本当に“中興の祖”となられてしまったような一抹の寂しさを感じます。

安曇野の サルビア紅(あか)し 米寿逝く (井蛙)

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(理事長 矢部 薫)