心臓が量産品に変わる日~相応の責任と覚悟を~

先月2日の日本経済新聞朝刊に『心臓が量産品に変わる日』の見出しで、衝撃的な記事が掲載されていました。
特集『Disruption 断絶の先に 第7部 医ノベーション⑴』で、医療の最先端技術開発に余念のない、ある研究開発拠点を取材したものです。
まず、【細胞を敷き詰められる3Dプリンター】<大脳皮質の一部をつくり、脳の治療に役立てる計画だ>との説明書きを添えた大型の写真には、私たちの見慣れたパソコン用事務機器からも十分類推することができ、ましてフィギア作りに携わった人なら一目で理解できそうな“小型ジェットプリンター”が写っていました。ただし、材料はインクあるいは樹脂ではなく“神経細胞を含む液体”だというのです。
そして、現在では、「それを丁寧に敷き詰めると、1~2時間で最大20層ほど積み重なり、約1センチ角のサイコロ形をした塊になる。(中略)この塊を様々な形に変えたり、異なる細胞を混ぜ合わせたりできる」段階にある、というのです。
記事は、さらに、その【イメージ】として、<3Dプリンターで心臓を形づくる(細胞を積み上げる)→細胞同士がくっつく→立体に組みあがる>図を示し、実際にシャーレからピンセットでつまみ上げた【細胞の3次元積層体】の写真を紹介していました。
材料の“細胞”とは、あらゆる細胞に育つiPS細胞のことで、ご承知のとおり、京都大学山中伸弥教授がヒトの細胞での作製に成功し、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞したことで知られるところです。
さらに、記事では、【傷んだ体は交換する】具体例として、臓器生産機関が作製し、遠くない未来にスペアとして交換可能な臓器、脳・目・肺・心臓・肝臓・膵臓・腎臓・小腸・大腸を図で示しています。
ところで、昨年ノーベル文学賞を受賞した日系イギリス人の小説家カズオ・イシグロ氏の作品『私を離さないで』(2005年)は、近未来、臓器提供するために造られたクローン人間の話です。私は、ヘールシャムという施設で幼少期を過ごし、長じてコテージでの生活に移行し、やがて臓器提供を繰り返すうちに衰弱し死を迎えるという過酷な運命の中でも、一人ひとりが悩みながらも現実を受け入れ、そして、友情も恋愛も経験してゆくうちに自らの運命を受け入れていくというストーリーを思い起こしました。
後半の記事は、「1万人の患者が移植を待つ」国内の現状にふれ、そして「どこまで「自分」でいられるか」との哲学的な課題に及び、東京大学の中内啓光特任教授の「体の大部分が他人から提供された臓器や機械に取り換えられても、脳が置き換えられないかぎり『自己』の意識は存在する」と、現実的な認識論を紹介しています。
最後に、iPS細胞の生みの親である山中教授の「大きな倫理的課題を生み出したことに気づき茫然としたことを覚えている。(中略)どのような研究にも、光と影がある。うまく使えば人類の福音となるが、使い方を誤ると人類の脅威となる」(弘文堂『科学知と人文知の接点』)を紹介し、記事は「イノベーションは、その後の新しい時代を生きる人類に相応の責任と覚悟を迫っている」と結んでいました。
さて、こうなると、私たちは順次傷んだ臓器を交換しながら永遠の命を手に入れることになる、とでも言うのでしょうか。
少し調べてみると、理論上では可能ですが、現状では私たちの老化のスピードを遅らせることがかなわないかぎり、<125歳を人間の寿命の限界と考える>(寿命限界説肯定派)のが一般的な考え方のようです。なぜなら、老化を制御するスイッチは今のところない、つまり染色体の末端にある“テロメア(末端にある構造)”の操作は現段階では不可能だからだそうです。
しかしながら、iPS細胞作製という生物学的に新たな立ち位置を確保した以上、近い将来、確実にやってくるだろう「心臓などの臓器が量産品に変わる日」には、まず、少なからず私たち自身の問題として、<(老化しつつ)125歳まで生きる>相応の責任と覚悟を持たなければならない。このことは、シニア世代の就労年齢の拡大、行き着くところ、介護の軽重はともかく老化しつつ長生きする高齢者を支える介護の長期化を覚悟することになると思います。
私たちは現在、高齢者人口の急増<高齢化>のピークを迎える2025年(問題)を目前にして、さらに、その先は高齢者人口の増加が緩やかになるものの生産年齢人口の減少が加速<少子化>していくであろう2040年(問題)を見すえた中で、今後の国の施策論議を注視しながら法人の中長期計画を着実に進めていかなければなりません。
本記事は、飛躍的な長命という新たな切り口で、国や私たち事業者に<介護の保障>という課題(責任)を突きつけているように思います。
(理事長 矢部 薫)